このことは、カルト教団にしても、キリスト教団にしても、変わりはない。ドグマに従うのが〈宗教の核心〉なのだ。そのドグマが正しかろうが間違っていようが、宗教はドグマに従う。(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか小室直樹
 あらゆる宗教にとって、というよりも人間にとって、この「永遠」というものを自分のなかでどう位置づけ、理解するかが、死生観の根幹をなすと言ってもよいのである。(『死生観を問いなおす広井良典
 われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。(『人生の短さについて 他二篇セネカ茂手木元蔵訳)

中江兆民
「とくに、無意識の思考だ。粒子が光速に近づくと、静止状態にくらべて時間の流れは遅くなる。ゆえに、無意識は永遠だと考えることができる。したがって、無意識は文字どおり時間を超越しているんだ」(『数学的にありえないアダム・ファウアー:矢口誠訳)

数学
 実は、こうした宇宙こそ、2500年前に釈迦(しゃか)がいった、唯識(ゆいしき)の世界なのです。
「宇宙はすべて意識で存在している」。つまり、情報状態だとすでにいっていたのです。(『苫米地英人、宇宙を語る苫米地英人
 スティーヴン・ホーキングは1ビットの情報ブラックホールへ投げ込んだらどうなるかと想像した。投げ込む情報は本やコンピューターでもいいし、1個の素粒子でもいい。(『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド)
 この段階を過ぎるとすぐに、指数関数的な傾向は一気に爆発する。今世紀の半ばまでには、テクノロジーの成長率は急速に上昇し、ほとんど垂直の線に達するまでになるだろう――そのころ、テクノロジーと我々は一体化しているはずだ。(『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル)

イノベーション
【ふつうの人は知覚から得た生の情報ではなく、その概要を見たり、聞いたりしている】。(『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン)
「少し、見えますか?」
 ズドーン! ドッカーーーーーン!
 白い光の洪水がメイの目に、肌に、血液に、神経に、細胞に、どっと流れ込んできた。光はいたるところにある。光は自分のまわりにも、自分の内側にもある。
(『46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生ロバート・カーソン:池村千秋訳)

視覚障害
 外側をいかに規制し、制限しようと、いかなるルールに従わせようと、内なる心理の活動が外部を圧倒し、これら外部のものごとは内なる願望、欲望恐怖不安によって、安定への切望、孤独の恐怖によって粉砕されてしまうのです。(『英知へのターニングポイント 思考のネットワークを超えてJ・クリシュナムルティ:神咲禮監修、大野純一監訳、渡辺充訳)
 悪書を読まなすぎるということもなく、良書を読みすぎるということもない。悪書は精神の毒薬であり、精神に破滅をもたらす。良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。(『読書について 他二篇ショウペンハウエル

ショーペンハウアー読書
 私たちの実験が示すように、消費者が支払ってもいいと考える金額は簡単に操作することができる。つまり、消費者はさまざまな品物や経験に対する選考や支払い意思額を自分の思いどおりには制御できていない。(『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー)
 私たちは、自分の信じる考えに反するような情報を遠ざけることが多いため、自己の信念を支持する議論や証拠ばかりを偏って取り入れている。(『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるかトーマス・ギロビッチ:守一雄、守秀子訳)

認知科学科学と宗教
 人は自転車に乗れるが、どうやって乗っているのかは説明できない。書くことはできるが、どうやって書いているのかを書きながら解説することはできない。(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之訳)

認知科学
 陽子がどれくらい小さいかというと、例えば印字「i」の「・」に当たる部分の微量なインクには、約500,000,000,000個の陽子が含まれている。50万年を分で勘定した数字を上回る個数、と言い換えてもいい。(『人類が知っていることすべての短い歴史ビル・ブライソン楡井浩一訳)
 これら三つの特徴――第一は感染的だということ、第二は小さな原因が大きな結果をもたらすこと、第三は変化が徐々にではなく劇的に生じるということは、小学校での麻疹(はしか)の蔓延や冬のインフルエンザの伝染の仕方と同じ原理に基づいている。(『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則マルコム・グラッドウェル:高橋啓訳)

ネットワーク科学
 隔たり次数に関しては、強い絆は実際のところ、まったくといっていいくらい重要ではない。グラノヴェターがつづけて明らかにしたように、重要なリンクは人々のあいだの弱い絆のほうであり、特に彼が社会の「架け橋(ブリッジ)」と呼んだ絆なのである。(『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線マーク・ブキャナン阪本芳久訳)

ネットワーク科学
「いいかげん」が否定的に使われるようになったのは明治以降、「適当」が否定的な意味を持ったのは戦後になってからです。(『反社会学講座パオロ・マッツァリーノ
 階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能のレベルに到達する。(中略)
 やがて、あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められる。(中略)
 仕事は、まだ無能レベルに達していない者によって行なわれている。
(『ピーターの法則 創造的無能のすすめローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル:渡辺伸也訳)

【の法則】
 ウィトゲンシュタインは、言語が明確でないためにさまざまな哲学的問題が生じているなどと気楽なことを言っているのではありません。彼は「すべての哲学的問題」が、言語から生じる擬似問題にすぎないと喝破しているのです!(『知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性高橋昌一郎
 いえいえ、わからないのも無理ありません。というのは協調にしても裏切りにしても、どちらが本当に合理的な選択なのかわからないのです。その意味で、囚人のジレンマはパラドックスなのです。(『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性高橋昌一郎

『不可能、不確定、不完全 「できない」を証明する数学の力』ジェイムズ・D・スタイン
 数学アンドレ・ヴェイユは、「過去2500年を振り返っても、アリストテレスと肩を並べると誇張なく言えるのは、ゲーデルただ一人である」と述べた。(『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論高橋昌一郎
 西洋人は無限を徹底的に排除した。というのも、無限はすでに西洋思想の根元を蝕みはじめていたからだ。それはゼノンのせいだった。同時代人から西洋世界でもっとも厄介な人物と見なされていた哲学者だ。(『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念チャールズ・サイフェ:林大訳)

数学異端
 ラマヌジャンは「我々の100倍も頭がよい」という天才ではない。「なぜそんな公式を思い付いたのか見当がつかない」という天才なのである。(『天才の栄光と挫折 数学者列伝藤原正彦

数学
「他者の苦痛に対するラットの情動的反応」という興味ぶかい標題の論文が発表されていた。バーを押すと食べ物が出てくるが、同時に隣のラットに電気ショックを与える給餌器で実験すると、ラットはバーを押すのをやめるというのである。(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源フランス・ドゥ・ヴァール
 アメリカでは教育や福祉以上に、美容にお金がつぎこまれる。莫大な量の化粧品――1分あたり口紅が1484本、スキンケア製品2055個――が、売られている。(『なぜ美人ばかりが得をするのかナンシー・エトコフ:木村博江訳)
 母親が妊娠初期に栄養不良だと、節約型の代謝をする体の小さな赤ん坊が生まれる。だがその節約型の代謝のせいで、その後はどんどん脂肪をためこんで太るというわけだ。(『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム)
 現代人はじつは脳の中に住んでいる。それは東京を歩いてみればすぐわかる。目に入るものといえば、人工物ばかりだ。人工物とはつまり脳の産物である。脳がさまざまなものを作りだし、人間はその中に住む。(『カミとヒトの解剖学養老孟司

科学と宗教
 個体は感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思えるが、ミクロのレベルではたまたまそこに密度が高まっている分子の、ゆるい「淀み」でしかない。その流れ自体が「生きている」ということである。(『もう牛を食べても安心か福岡伸一
 私はその(※上野)戦争の日も塾の課業を罷(や)めない。上野と新銭座とは二里も離れていて、鉄砲玉の飛んで来る気遣いはないというので、丁度あのとき私は英書で経済(エコノミー)の講釈をしていました。(『新訂 福翁自伝福澤諭吉

氷川清話日本近代史
 日清戦争はおれは大反対だつたよ。なぜかつて、兄弟喧嘩だもの犬も喰はないヂやないか。たとへ日本が勝つてもドーなる。支那はやはりスフインクスとして外国の奴らが分らぬに限る。(『氷川清話勝海舟江藤淳、松浦玲編)

福翁自伝日本近代史
「キリシタンでも何でもいいが、公儀にかぎらず、お上というものが宗教を取り締まるのは、それを見せしめにして、人民をみなおまえさんのような考えにさせるのが目的なのさ」(『青い空 幕末キリシタン類族伝』海老沢泰久)

キリスト教勝海舟
 彼(※ジェイムズ・M・リンチ)はその中で、人生の危機に直面し、しかも人間的な接触の恩恵を受けていないと、人間は生命が脅かされるような心臓障害にかかることが多い、と述べている。(『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たちジュリアス・シーガル:小此木啓吾訳)
 1861年に臨床神経科医のブローカは、失語症患者の左前頭葉に運動性言語野を発見して大脳皮質の機能局在論の扉を開いた。彼がパリの人類学会で発した「人は左半球で語る」という言葉は、機能局在説の金字塔である。(『脳のなかの身体宮本省三
 そう考えると「閉じ込める」という言葉も患者の実態をうまく表現できていない。むしろ草木の精霊のごとく魂は軽やかに放たれて、私たちと共に存在することだけにその本能が集中しているというふうに考えることだってできるのだ。(『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子)
「自立とは、誰の助けも必要としないということではない。どこに行きたいか、何をしたいかを自分で決めること。自分が決定権をもち、そのために助けてもらうことだ。だから、人に何か頼むことを躊躇(ちゅうちょ)しないでほしい」(エド・ロング)『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち渡辺一史

障害介護
「イメージ」というのは、要するに、「サングラス」越しに見える風景ということなのです。わたしたちが、社会にかけさせられた「サングラス」をとるためには、結局、わたしたちが自分の目で「見る」以外にないのです。(『13日間で「名文」を書けるようになる方法高橋源一郎
 戦略はなくても戦争は戦える。しかし負ける。戦略はなくとも企業経営はできる。しかし、長期的には恐らく、世界市場で勝ち残ることはできないであろう。(『日本人のための戦略的思考入門 日米同盟を超えて孫崎享
 アメリカがストックホルムの環境会議ですべての関心を集めたのは、核廃棄物の処理問題を避けるためだった。(『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い梅崎義人
 エコノミック・ヒットマン(EHM)とは、世界中の国々を騙して莫大な金をかすめとる、きわめて高収入の職業だ。彼らは世界銀行や米国国際開発庁(USAID)など国際「援助」組織の資金を、巨大企業の金庫や、天然資源の利権を牛耳っている富裕な一族の懐(ふところ)へと注ぎこむ。その道具に使われるのは、不正な財務収支報告書や、選挙の裏工作、賄賂、脅し、女、そして殺人だ。(『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス)

アメリカ
 それはまちがいなく咆哮そのものだった。戦(おのの)き震え、必死で助けを求める、極限的苦痛を嘗(な)めさせられた者にしか発せられぬ咆哮だった。(「黒い警官ユースフ・イドリース
「あんたがたはまったくまんまと俺を変えてしまったってこと、ご自分でわかってますかねえ……そう、一人の人間から一つの状態へとね。そう、ですから、この俺というのは、一つの状態なんですよ。それ以上のものでは決してねえんだ」(『ハイファに戻って/太陽の男たちガッサーン・カナファーニー黒田寿郎奴田原睦明訳)
 私の意図は、目前にした事実を伝え、平和を願う意志を理屈から力に転化することであった。観念の戦いは不毛である。平和は戦争以上に積極的な力でなければならぬ。(『医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』中村哲)
「毛布もなくガタガタ震えている私を、マスードは両腕でかかえこみ、抱くようにして一晩中、看病してくれた。彼の素晴らしい個性――勇気、知力、謙譲心、統率力、やさしさ――は、神からの授かり物としか考えられない」(『マスードの戦い長倉洋海
 後悔も「怒り」です。罪です。過去のやったこと、やらなかったことにとどまっていますから、その人は前に進めなくなります。失敗を思い出すたびに足が止まってしまいますし、前に進んでいる人でもスピードが下がります。(『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11アルボムッレ・スマナサーラ

仏教
 怒りを甘くみてはいけません。怒りが生まれた瞬間に、からだには猛毒が入ってしまうのです。たとえわずかでも、怒るのはからだに良くないとしっかり覚えておいてください。怒りはまず自分を燃やしてしまいます。(『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1アルボムッレ・スマナサーラ

仏教
「光には速度がある。暗闇にも速度があるはずよ。相反するものは、それが進む方向以外のあらゆるものを共有する」(『くらやみの速さはどれくらいエリザベス・ムーン小尾芙佐訳)
 おおぜいのひとが雑誌に手紙を出して、マリリン・フォス・サバントはまちがっているといってきた。(中略)しかしマリリン・フォス・サバントは正しかったのです。(『夜中に犬に起こった奇妙な事件マーク・ハッドン小尾芙佐訳)
「家族の困窮があったかもしれない。しかし私は一顧だにしない」。そう述べていたその人が加害者の家族に涙を流す、これもまたもうひとつのまぎれもない父親の姿だった。(『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』佐藤幹夫)
 私が獄中で出会った受刑者のなかには、いま自分がどこにいて何をしているのかすら全く理解していない障害者がいた。さらには、言葉によるコミュニケーションがほとんどできない、重度の知的障害者もいる。(『累犯障害者山本譲司

累犯障害者
 トマ神父はぼくを変えようとしたのではなく、【あるがまま】のぼくをそのまま受け止めてくれた。そこから希望が生まれたのだ。(『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール)
 家庭では、親がその気になれば、子どもに苦痛を与える機会がいくらでもある。(『囚われの少女ジェーン ドアに閉ざされた17年の叫び』ジェーン・エリオット)
 天下を相手にするには、まだまだその器量を拡大してゆかねばならぬのである。
「旅がよい」
 人は歩くことだ。風光や雨雪が人の心をみがき育てる。その歩みの多さが、すわったときの人の大きさや重みにかわる。
(『介子推宮城谷昌光
「名誉は人からさずかるものと、天からさずかるものとがあります」(『重耳宮城谷昌光
「陰(いん)の謀(はかりごと)は、陰の報いしかもたらしません」(『重耳宮城谷昌光
「ことばと申すものは、外にあらわれますと、ありえぬことを、ありうることに変える、不可思議な働きをすることがあるものです」(『重耳宮城谷昌光
 たしかに、はじめにことばがあり、ことばは神であった。しかしことばが神であったのは、人がことばによって神を発見し、神を作り出したからである。ことばが、その数十万年に及ぶ生活を通じて生み出した最も大きな遺産は、神話であった。(『漢字 生い立ちとその背景白川静

宗教
 故に曰わく、彼れを知り己(おの)れを知れば、百戦して殆(あや)うからず。彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎(ごと)に必ず殆うし。(『新訂 孫子金谷治訳注)

孫子
 ひとりぼっちで食事をするのは、生まれて初めての経験だった。ヌバ山地では、ひとりで食事をする人はいない。それは、人を温かくもてなすというヌバの精神に反することなのだ。(『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル)
 9.11、世界貿易センターでの犠牲者は3000人余。シエラレオネで、殺人より残酷と言われる手足の切断の犠牲者になった子供たちの数は、数千人。10年間の内戦の犠牲者は、5万とも、50万人とも言われる。(『武装解除伊勢崎賢治
 向こうの集団も、ぼくらと同じように幼い少年ばかりだったが、そんなことはどうでもよかった。やつらの弾薬を奪い、その死体を尻に敷いて、やつらが持ち歩いていた糧食を食べはじめた。あたり一面、死体から流れ出た血の海だ。(『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だったイシメール・ベア:忠平美幸訳)

少年兵
「ある文化の中で、服従することが神聖なことだと考えられるようになれば、人は良心の呵責なく罪なき人を殺すことができる」(『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記レヴェリアン・ルラングァ山田美明訳)

ルワンダ
 子どもたちは、より苦しんで死ぬように、足を叩き切った後、生きたままその場に放置され、赤ん坊は、岩にうちつけられ、エイズにかかっている兵士は、病気がうつるように10代の少女をレイプするように命令されたのでした。(『生かされて。イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン)

ルワンダ
 生き残る術というのは、習って身につくようなことではない。人はみな、定められた運命にしたがって生きているだけだ。だからわたしが生き残ったのもまた、それが運命だからに違いなかった。復讐を遂げるために、わたしは生き残ったのだ。(『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ)
「今のおれにはおまえに何にもしてやれない だけどきっとおまえをここから出してやる! 忘れるな! 新しい時代を生み出すのは女性であることを! 本流は女性だ!! 本流は女性だ!!」(『親なるもの 断崖』曽根富美子)
 かつて地に倒れたことのないもの、挫折したことのないものがどうして、起ちあがるという意志をもち、経験をもつことがあるだろうか。(『石原吉郎詩文集石原吉郎

詩歌シベリア抑留強制収容所
 爪を引き剥がされた、両手と両足の爪を。そして日向(ひなた)にさらされた。その痛みは、おまえには想像できないだろう。だが、わたしは耐えた。わたしの口から嘆きの言葉は洩れ出なかった。(『イタリア抵抗運動の遺書』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編)

ナチスイタリア
 IBMはヒトラー政権からの注文に応じて、ドイツのほとんどの強制収容所で使われる特製システムをリースし、ナチスの職員にこの複雑なシステムの使い方を懇切丁寧に伝授した。(『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか菅原出

アメリカ
 最もよき人々は帰ってこなかった。(『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録V・E・フランクル:霜山徳爾訳)

強制収容所
 イギリスは(インドの)「分割統治」を進めるために、間接統治と共に、「対立させて支配する」という方式を実行しました。(『そうだったのか! 現代史 パート2池上彰
「潔白で立派な人を買うことはできるか?」
「買うことはできない。売ることはできるが」
 これは、ロシア独特の「アネクドート」と呼ばれる小話のひとつです。
(『そうだったのか! 現代史池上彰
 動物に労働を強制することはできない。人間だけが奴隷になり得る。人間を奴隷にし、労働を強制すると言っても、物理的手段によるのではない。人間はみずから進んで強制に屈服し、奴隷になる。(『続 ものぐさ精神分析岸田秀

心理学
 本能的行動形式を失ってしまったとき、人間の本能は欲望に変質したのである。自己保存本能はナルチシズムに変質し、性本能はエロティシズムに変質した。(『ものぐさ精神分析岸田秀

心理学
 われわれが邪悪な人間に出会うのは一生に一度か二度というわけではなく、ほぼ日常的に人間性の危機にわれわれは接しているのである。(『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』M・スコット・ペック:森英明訳)

サイコパス
 ほんとうに心の底から笑ったことのない人、心の底から笑うことを知らなかった人、それは僕のお母さんです。(『山びこ学校』無着成恭)
 気がつき始めてみると、こえの状態が悪い人があまりに多いので、私は不安になってきた。なぜ私たちは、これほどこえが出ないのか。なぜ私たちは、こんなにからだが歪んでいるのだろう。(『ことばが劈(ひら)かれるとき竹内敏晴
 身体はいま、健康とか清潔、衛生、強壮、快感といった観念に憑かれてがちがちになっている。パニック・ボディ。そう、身体がいまいろんなところで悲鳴をあげている。(『悲鳴をあげる身体鷲田清一
 すでに死の恐怖は超越していた。死は生の延長線上にある、と私は感じるようになっていた。死を恐れて、自分の持つ能力を発揮できなくなることを私は恐れた。(『たった一人の30年戦争小野田寛郎
「建設に従事しない男は、破壊を仕事にすることになる。(中略)それが古い真理ですからな」(『華氏451度レイ・ブラッドベリ

ディストピア
 人生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。それには心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。(『自分の中に毒を持て岡本太郎
 コミュニティ community という言葉は、com と munus に由来し、前者は「お互いに」、後者は「贈り物」を意味するそうです。つまり、お互いに与えあう関係を示しているのです。(『エンデの遺言 根源からお金を問うこと河邑厚徳、グループ現代)
 ガンディーはカースト制の信奉者であった! 彼の狙いとするところは、カースト制はそのままにし、不可触民制だけを廃止して不可触民を第5位カースト民の地位に引き上げようというものであった。(『アンベードカルの生涯ダナンジャイ・キール山際素男訳)
「アンサンブルは時間の一致じゃない、心の一致だ」(『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯中丸美繪

斎藤秀雄
 商人であれ町女房であれ、男であれ女であれ、何によらず、初々しさを失った時、人は急に光を失う。(『雷電本紀飯嶋和一
 文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損うことが多くなった。(「文字禍」中島敦)
「僕はもう風にはなれないだろう。」
 悲しそうに彼はそう呟いた。
(『廃市・飛ぶ男福永武彦
 自分はひとりきりで、ふたたび山の上にいる。孤独がどんなに安らぎを与えるものか、わたしは忘れていた。脚に、肺に、昔の力がよみがえる。冷たい風が全身を打ちすえる。55歳のわたしは、いまにも歓声をあげそうだった。(『鳥 デュ・モーリア傑作集』ダフネ・デュ・モーリア)
 僕たちはただそこに座り、抱きあって涙を流した。僕たちが一緒に過ごした時間のために、そして僕たちが失ってしまった時間のために。(『ぼくと1ルピーの神様』ヴィカス・スワラップ)
「しかもなお、おれは、やるだけやってみなければならない」(『鷲は舞い降りたジャック・ヒギンズ:菊池光〈きくち・みつ〉訳)
「どうして探偵をやってるの?」
「誰かが言ったように、歌も踊りもできないからだ」
(『初秋ロバート・B・パーカー:菊池光訳)
 人間として生きていくうえには、深く悲しむこともまた必要なのだ。(『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから山下京子
 憎しみとあきらめを乗り越えて、私たちは前に進むしかないのです。新しい生き方を切り開いて、全てを「価値」に変えていくしかないのです。(『彩花へ 「生きる力」をありがとう山下京子
 あの日、詩織さん達がここに相談に来て、絶望したのがよく理解できた。ここはまったくダメだ。「人間」がいないのだ。詩織さんは二つの不幸に遭遇した。一つは小松に出会ったこと。もう一つは上尾署の管内に住んだことだ。(『桶川ストーカー殺人事件 遺言清水潔
(※初めてカナダに留学。だが留学中に鬱病となる。帰国後、大学をやめようとした)
 そして、しばしば考えた後、見えた答えがあった。それは「私の人生は私のものなんだ」っていうこと。「私にしかない世界が広がっているんだ」ってことだった。(『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子)
 世界を引っぱってゆく秘訣はただ一つしかない。それは強くあるということである。なぜなら力には誤謬もなく、錯覚もないからである。力は裸にされた真実である。(『ナポレオン言行録オクターブ・オブリ編:大塚幸男訳)

ナポレオン
 学んだことのたった一つの証は変わることである。(『わたしの出会った子どもたち』灰谷健次郎)
 スピリチュアルとは「間違っていても信じたい」と思うことです。それに対して科学とは、徹底的な吟味をし、自分で打ち立てた考えを自ら批判し懐疑するものだということです。(『スピリチュアリズム苫米地英人
 服従とは、他人の行動を政治目的にむすびつける心理的メカニズムだ。それは人を権威システムに縛る姿勢上のセメントだ。(『服従の心理』スタンレー・ミルグラム:山形浩生訳)
 誤解される人の姿は美しい。
 人は誤解を恐れる。だが本当に生きる者は当然誤解される。誤解される分量に応じて、その人は強く豊かなのだ。誤解の満艦飾となって、誇らかに華やぐべきだ。
(『芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録』岡本敏子)
 大切なのは、バッハが何を信じたかという信仰の内容ではなく、信仰に貫かれたバッハの生き方、精神の方向性なのである。(『J・S・バッハ』礒山雅〈いそやま・ただし〉)
 権力が社会的な圧力を加えているような状況では、私たちが持っている道徳概念などはたやすく踏みにじられてしまうことをミルグラムの実験は劇的な形で示したのである。(『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス:野島久雄、藍澤美紀訳)
 人間とはいつ、自ら敗れ去るか、ねえアーミナ、きみは知っているかい? 人はね、自分が愛するもののことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、自ら敗れ去るのだよ。(『アラブ、祈りとしての文学』岡真理)
 希望は一片でも持ってはいけない。監獄では、期待が死への第一歩だ。(『青い虚空』ジェフリー・ディーヴァー)
「おんな の こ と あそびに いきたかった けっこんも したかった こども も ほしかった きょういくも うけたかった でも そう おもうことさえ ゆるされなかった」
 文字盤の上に、静かに涙がこぼれ落ちた。
(『セックスボランティア』河合香織)
 北イラクのシャニダール洞窟で発掘された化石はネアンデルタール人(※約20万~3万年前)のイメージを大きく変えた。見つかった大人の化石は、生まれつき右腕が萎縮する病気にかかっていたことを示していた。研究者は、右腕が不自由なまま比較的高齢(35~40歳)まで生きていられたのは、仲間に助けてもらっていたからだと考えた。そこには助け合い、介護の始まりが見て取れたのだ。「野蛮人」というレッテルを張り替えるには格好の素材だった。(『人類進化の700万年』三井誠)
 力学は目的論ではなく、因果論の形をとる。(『唯脳論』養老孟司)
 正義は呼号すべきものなり、印刷すべきものなり、販売すべきものなり。決して遂行すべきものにあらず。(『緑雨警語』斎藤緑雨)
「あやまちのない人生というやつは味気ないものです。心になんの傷ももたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗をくり返したりするのがしぜんです」(『日日平安』山本周五郎)
 本物ばかりをありがたかるのは、人間が二流である証拠だ。本物というのはどうも本物ということにあぐらをかいてしまう傾向がある。そういうわけで、私はむしろ、まがいものが本物に似ようとする、哀切な努力を買う。(『我が心はICにあらず』小田嶋隆)
「彼らは自分の家へ勝手に火をつけておいて、こんどは、それに水をぶっかけて消そうとしたんです。そして、消しそこねると、その責任を火に負わせたんです」(『スカラムーシュ』ラファエル・サバチニ:大久保康雄訳)
 彼を貫いたのはイスラエル狙撃兵のたった一発の銃弾だった。彼は叫び声を上げることもなく、そのまま息を引き取った。
 打ち砕かれたのは、彼の抵抗の意志だった。それもあっけなく、たった一発で彼は静かに死んだ。
(『パレスチナ 新版』広河隆一)
 脆弱な良心は良心たり得ない。(『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』岡本浩一)
 あるとき、ねこは だれの ねこでも ありませんでした。
 のらねこだったのです。
 ねこは はじめて 自分の ねこになりました。ねこは 自分が だいすきでした。
(『100万回生きたねこ』佐野洋子)
 幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。(『人生論ノート』三木清)
 機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人ではない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。(『人生論ノート』三木清)
 彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃(たお)れてもなお幸福である。(『人生論ノート』三木清)
 幸福は人格である。ひとが外套(がいとう)を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。(『人生論ノート』三木清)
 生はとてもふしぎです。何をしたいのかが明確になったとたんに、何かが起きるのです。(『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司訳)
 ただ独り、不確かな道を歩め。(『蝿の苦しみ 断想エリアス・カネッティ:青木隆嘉訳)
 水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。(『ブッダのことば スッタニパータ中村元訳)