鎌倉時代の)人口を抑制した要因として考えられるのは戦争と飢饉である。1181~82年(源頼朝の挙兵養和の飢饉)、1231年(寛喜の飢饉)、1258~59年(正嘉の飢饉)と短い期間に集中して起きた3つの大きな飢饉により、この期間の死亡率は上昇したと推測される。(『図説 人口で見る日本史』鬼頭宏)