タリバーンは、反タリバーン地域を制圧すると、家と畑を焼き、男たちを連れ去ったと難民が訴えていた。娘や妻にガソリンをかけ家族の目の前で殺し、人々に恐怖感を植えつけて村に戻れないようにしたともいう。人が集まる市の立つ日を狙って爆撃を加えることもあった。「アフガン人なら、こんな残酷なことはできない」と住民は怒りを募らせた。マスードは「タリバーンの40%はパキスタン、アラブなど世界各国からの外国兵だ」と話していたが、アフガニスタンに世界の原理主義者たちが集うにようになったきっかけはソ連軍の侵攻だった。イスラムの聖戦に加わった各国の義勇兵の中で、原理主義組織のネットワーク作りが進んでいった。その中に、オサマ・ビンラディンもいた。(『マスードの戦い長倉洋海