保護主義的措置は、絶対的な害悪ではなく、むしろ自由貿易がもたらす深刻な問題を解決するための有効な手段である。それにもかかわらず、経済学者たちが自由貿易を原則としたがる理由は、結局のところ、政府の能力が信用できないということに尽きる。(『自由貿易の罠 覚醒する保護主義中野剛志
 ミンスキーの提唱する金融不安定性仮説は、バブル発生とその崩壊の原因を、投機マニアの非合理な経済活動のせいではなく、資本主義経済そのものに内在するメカニズムに帰すものであった。(『恐慌の黙示録 資本主義は生き残ることができるのか中野剛志
 本書において私は新しい答えを示す。すなわち、生命の長い歴史のなかでも特筆すべき“変移”であるホモ属(ヒト属)の出現をうながしたのは、火の使用料理の発明だった。料理は食物の価値を高め、私たちの体、、時間の使い方、社会生活を変化させた。私たちを外部エネルギーの消費者に変えた。そうして燃料に依存する、自然との新しい関係を持つ生命体が登場したのだ。(『火の賜物 ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム)
〈画家〉と〈見えるもの〉とのあいだで、不可避的に役割が顛倒する。その故にこそ、多くの画家は物が彼らを見守っているなどと言ったのだし、クレーに次いでアンドレ・マルシャンも次のように言うのだ。「森のなかで、私は幾度も私が森を見ているのではないと感じた。樹が私を見つめ、私に語りかけているように感じた日もある……。私はと言えば、私はそこにいた、耳を傾けながら……。画家は世界によって貫かれるべきなので、世界を貫こうなどと望むべきではないと思う……。私は内から浸され、すっぽりと埋没されるのを待つのだ。おそらく私は、浮び上ろうとして描くわけなのだろう」。一般に〈霊気を吹きこまれる〉(インスピレーション)と呼ばれているものは、文字通りに受けとられるべきである。本当に、存在の吸気(インスピレーション)とか呼気(エクスピレーション)というものが、つまり存在そのものにおける呼吸(レスピレーション)があるのだ。もはや何が見、何が見られているのか、何が描き、何が描かれているのかわからなくなるほど見分けにくい能動と受動とが存在のうちにはあるのである。母の胎内にあって潜在的に見えるにすぎなかったものが、われわれにとってと同時にそれ自身にとっても見えるものとなる瞬間、一人の人間が誕生したと言われるが、〔その意味では〕画家の視覚は絶えざる誕生なのだ。(『眼と精神』M・メルロ=ポンティ)
 理論はまた「行動」でしかないのでもあるから、理論家が被抑圧集団(原文略)を(代弁/代表)することはない。また、実のところ、主体とは(原文略)(現実を適切に再現/表象した意識)であるとは見なされない。(原文略)または〔英語では〕(原文略)のこれら二つの意味──一方では国家東方の内部にあっての、そして他方では主語-述語関係の中にあっての意味──は、相互に関連をしているが、どちらか一方へ帰一化することは到底不可能なまでに非連続的でもある。(『サバルタンは語ることができるか』ガヤトリ・C・スピヴァク)
 例えば、一般信徒は、聖書の教えを聖職者から口頭で聞き学ぶべきで、自ら聖書を読む必要はない、あるいは、読んではならないとされていた。ラテン語で書かれた聖書は、聖職者たちが占有する門外不出の聖典であり、それを各地域の言葉に翻訳することは固く禁じられていた。(中略)ラテン語の聖書を自分たちの日常の言語に翻訳する試みも行われたが、そのような行為をするひとびとは異端として弾劾された。(『宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史』永田諒一)
 アメリカの外交面でもっとも影響力のある集団は、東北部の大企業、多国籍企業、銀行などに足場を持つグループで、国際主義者、俗に「東部エスタブリッシュメント」と呼ばれるエリートたちである。(『日本人が知らない「ホワイトハウスの内戦」菅原出
 密教の場合は、シンボル儀礼がとても重視される。その理由は、密教では、仏教の最高の真理は、シンボルでならば表現できる可能性がある、とみなされているからだ。儀礼は、ふつうの手段では表現できない重要なことがらを、シンボルをもちいたり、シンボリックな動作によって表現される行為とみなされるので、重視される。そして、マンダラこそ、シンボルのきわみなのである。(『マンダラとは何か』正木晃)
 名もない人々の歴史こそ、本当の歴史である。
 日本史の勉強をはじめたばかりの頃、私が先学の仕事から鮮烈に受け取ったメッセージはこのことだった。最近の歴史書がとかく大文字でばかり書かれるのを見るにつけ、私はいいものを先学から頂戴したと思っている。不透明なこんな時代には、身近なもの、小さなものから社会や歴史を考えることができる人が一人でも多くなってほしい。本書の執筆動機を心底に探せば、そういうところに行き着くような気がする。
(『戦国仏教 中世社会と日蓮宗』湯浅治久)
 本門宗要抄は、清澄に帰った聖人は建長5年4月22日より17日間禅定に入り、成満して28日、朝日に向かって南無妙法蓮華経と唱えたという。(『日蓮とその弟子』宮崎英修)

日蓮
 ちなみに、コブラを意味する「ナーガ」ということばは、漢訳仏典ではふつう「龍」と訳されている。(『日本奇僧伝宮元啓一
 1899年4月23日、日曜の午後、2000を超すジョージア州の白人が団体列車を仕立ててニューマンの町にくりこんだ。同じジョージアの黒人、サム・ホーズの処刑が目当てだった。市民総出の見物で、親たちは学校に文書で子供の欠席許可を求めた。人びとは惜しくもこの山場を見逃した親類や知人に絵葉書を送り、競って記念写真を撮った。
 またあるとき、同じような騒ぎの巻きぞえで夫を亡くした黒人女性、メアリー・ターナーは8カ月の身重だったが、責任の所在を糺して加害者の懲罰を求める決心で現場に出向いた。群衆は思い知らせんものといきり立ち、メアリーの足を括って木から逆さ吊りにした。メアリーは生きながら腹を裂かれ、地べたに落ちた胎児の頭を群衆の一人が踏みつぶした。これでもかとばかり、八方から銃弾を浴びて、メアリーは蜂の巣となって息絶えた。
 残酷場面を眼前に見て笑いながら写真におさまった子供たちは、残る生涯、良心の呵責に悩んだろうか。それとも、このときのことを思い出しては郷愁とともに密かな満足を味わっただろうか。
 心優しく親切な行為を人はめったに忘れない、とは昔からよく言われることだが、癒やしがたい心の傷もまた同じである。ユダヤ人はいつになったらホロコーストの悪夢から解放されるだろうか。
 道徳家の建前では、良心の声は聞こえなくても、つねづね残虐や不正を批判している。だが、その実、犠牲者がこっそり葬られるかぎり、良心は残虐と不正を歓迎する。
(『わらの犬 地球に君臨する人間』ジョン・グレイ:池央耿訳)
 まず、これを考えてもらいたい。そもそも「オズの魔法使い」というタイトルの「オズ」とは何なのか? 英語では「Oz」になる。この字に見覚えがないだろうか。金の重さを量るオンスという単位を、英語でこのように表記するのである。これで話が見えてきただろう。そう「オズの魔法使い」とは、金融資本家の利益のために策謀する政治家を指している。その原作は、1900年にフランク・バウムというジャーナリストが書いた小説である。バウムはバイメタリズム運動の支持者だった。それで当時の政治情勢を盛り込んだ寓話として「オズの魔法使い」を書いたのである。(『世界デフレは三度来る』竹森俊平)
 利潤を生むのは自然の豊穣ではなくて、労働である。カトリックにおいては、労働原罪をもつ人間に与えられた苦役であり、それゆえ「富は天国に積め」と教えられる。これに対して、プロテスタントにあっては、労働は人間のよろこびであり、これによって得られた富や利潤は労働の正当な対価として人間の手に入る。近代の資本主義化がラテン・ヨーロッパのカトリック圏ではなく、北フランスやイギリス、そして北ドイツのプロテスタント(カルビン派ルター派イギリス国教会)において成立したのは、このためである。(『砂の文明・石の文明・泥の文明松本健一

キリスト教
 この点はライプニッツも同様であった。しかし同じく偉大な論理学者・数学者であったかれは、デカルトとは少し違っていた。かれは完全なものとして考えられた神の概念が、最大数のような矛盾を含まないかどうかを問題にした。そして神の概念が矛盾を含まないことを論証する。(『パラドックス 論理分析への招待』中村秀吉)
 15世紀から17世紀にかけての近世ヨーロッパで、魔女として訴えられた女性の罪を確定するための「間違いない」方法は、冷水につけるというものだった。女性は手足をまとめてロープで縛られる。それから川や沼や運河の水に沈められる。もし助かれば「有罪」の証拠となる。悪魔が愛弟子を救ったからには、魔女にちがいないからである。その反対に水底に沈んでしまえば、「無罪」が証明されたということだ。(『世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ』マッテオ・モッテルリーニ)
 落ちた家内は、私に背を向けているから、顔の表情はわからない。急いでシャツとズボンに着替え、両脇に手を入れ、起こしにかかった。重くて、抱き上げられない。起きる気持がないのだ。
 二、三度こころみたあと、どうしたらよいか寝間着の裾の方をぼんやり見ていると、静かに流れ出、畳を這い、溜りを作った。
 呆然と見ていたが、これも50年、ひたすら私のため働いた結果だ。そう思うと、小水が清い小川のように映った。
(『一条の光・天井から降る哀しい音』耕治人)
先●中国共産党って、憲法では「中国を指導する政党」って定められるの。つまり、【政府の上に党があるって考え方】なんですよ。(『鳩山由紀夫の政治を科学する 帰ってきたバカヤロー経済学高橋洋一竹内薫
 破壊とはつまるところ、創造の一形式なのだ。(「廃物破壊者たち」1954年)『二十一の短編』グレアム・グリーン)
Q●それらの要因を考慮した上で、儲けることのできないトレーダーにはどんな特徴があるのでしょう。

Dr.バン・K・タープ●儲けることのできないトレーダーは、次に述べるようないろいろな側面を持っています。非常に強い緊張を強いられておりリラックスできない、悲観的な人生観を持っていていつも最悪の事態を想定してしまう、心の中にたくさんの矛盾を持っている、物事がうまくいかなくなったときに他人のせいにするなどといったものです。そのような人は何事においても優柔油断であり、常に周りの行動に左右されてしまうのです。また、彼らは計画的ではありませんし、忍耐強くもありません。すぐに行動しようとしてしまいます。しかし、儲けることのできないトレーダーの多くが、今述べたような悪い面を全て持っているわけではありません。一部分を持っているに過ぎないのです。

(『マーケットの魔術師 米トップトレーダーが語る成功の秘訣』ジャック・D・シュワッガー)
 共産主義の国家では頭のいい人間は権力者の脅威になるので見つけてはいろいろと難癖をつけて、みんなの前で銃殺するのがお決まりのパターンですが、資本主義の国家では逆に頭が悪いということは大変重い罪で、その罪を償うためにこのようなさまざまな「税金」を払う必要があります。

 ギャンブルは「国家が愚か者に課した税金」といわれる所以です。

(『なぜ投資のプロはサルに負けるのか? あるいは、お金持ちになれるたったひとつのクールなやり方藤沢数希
 ところが50年やっても、80年やっても何一つくれない。ボーナスはなし、恩給はなし、とりとめのない商売だ。だからこの商売に入って、銭の愚痴をこぼすのは、そもそも間違いで、昔は俳諧のあとに小ばなしをしたのが落語のはじめなので、お茶だの、お菓子だのをお客様に出して、只で聞かせていた。お金を儲けるといった了見でこの商売をやっていたのでは、おかしみがなくなってくる。落語に出てくるのは、どこか間抜けの人間でお客は、頭を休めようと聞きにくる。(『志ん生芸談』古今亭志ん生)
 マーケットに対して100パーセント正しいことのできる人はいない。ここは自分をボクサーだと思ってほしい。損切りポイントで自衛しておけば小さなジャブは耐えられるが、ノックアウトされそうな強力なパンチは避けなければならない。そして生き残った人だけが熟練したトレーダーになれる。(『ロジカルトレーダー オープンレンジブレイクアウト戦略の基本と応用』マーク・B・フィッシャー)
 病院の1階のロビーにテレビが置いてあって、次女のダーナが、ラウンドが終わるたびに2階へあがってきて試合の様子を教えてくれた。そして11ラウンドが終わった頃、エディの意識が戻りはじめ、最終12ラウンドの頃にははっきりと戻っていた。井岡のKO勝ちを告げるダーナに、エディははっきりと、うん、うん、とうなずいたのだ。それに、なぜ、この日だったのだろう、井岡の試合が終わるまでは死ねないという執念が、この世の訣れの日をも動かしたのだろうか。(『遠いリング』後藤正治)
 良心の自由を叫んだことで知られる宗教団体が、個人の良心の声を抑えるために極めて厳しい制裁措置を取る。この現代において実におかしなことであると思う。(『良心の危機 「エホバの証人」組織中枢での葛藤』レイモンド・フランズ)
「古墳には稲荷の眷属(けんぞく)の狐が棲(す)んでいたからよ。狐には古墳だの墓地の穴だのに潜りこんで暮らす習性がある。その穴から出たり入ったりする狐は、古墳や墓に鎮(しず)まる死霊(しりょう)や祖霊(それい)の化身(けしん)と考えられていたんだ」(『真言立川流 謎の邪教と鬼神ダキニ崇拝』藤巻一保)
勇気〉という概念のなかには、神学的、社会学的、哲学的内容が一つに結び合わされている。これほどまでに人間状況を理解するための鍵として適切な概念は、あまりない。勇気というのは、まず第一に、倫理的概念ではあるけれども、それは人間実存の全領域にかかわるものであり、また、その根は、存在自体の階層にまで到達している。それを倫理的に理解するためにも、それは存在論的に考察されねばならない。(『生きる勇気』パウル・ティリッヒ)
 慣習法の支配する、レッセ・フェールの国であったイギリスは、ある意味で結社(ソサエティ)の国でもある。そもそも成文憲法をもたないこの国にあっては、多くの社会的取決めは、公的な、成文化された法規によるのではなく、なかば私的な、集団内の慣習によって成り立っている。(川北稔)『結社の世界史4 結社のイギリス史 クラブから帝国まで綾部恒雄監修、川北稔