そして、ただひとり、ほかの少女たちの甲高いおしゃべりを黙って聞いている、おまえたちの語る計画は語られた時点ですでに頓挫しているのだと言わんばかりに。(『神は銃弾ボストン・テラン:田口俊樹訳)
 新聞はいかなる新聞であっても、例えば私物の泥靴を包んでおいたぼろぼろの新聞まで読み尽してしまった。食器棚の下に誰かが投げ込んでおいた半年ほど前の内閣のパンフレットを手にした時は、ほとんど一週間も掛ってそれを読み返し読み返しした。(中略)メンソレータムの効能書きを裏表丁寧に読み返した時などは、文字に飢えるとはこれほどまでに切実なことかとしみじみ感じた。(竹田喜義 22歳)『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記日本戦没学生記念会

戦争読書
 何よりも大事な、教師の条件は子供の心の見えること──子供のうちにかすかに動いているものや、ことばにならないおもいを感じとる人間的な資質であるだろう。それが感受性であるわけだが、それはやさしさとは別のものではない。教師がそれを欠けば、子供のうちにある、表面には姿を見せない大事なたから(可能性)は切りすてられる外ない。子供のもっている豊かな可能性の貴重な愛惜すべき部分は、遠慮会釈なく学校教育の中で無残に切りすてられてゆく。この「切りすて」に抵抗すると、今度は子供自身が容赦なく切りすてられるのである。(『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと林竹二
「もし、“人間共和”がいつ実を結ぶのかと聞かれたら、われわれはこう答えればよいのです。たとえば、まずあそこにひとつ、ここにひとつ、あるいはあそこの国、ここの国といったように、世界が“人間共和”をつくりあげるような下地が出てくれば、従来の世界を支配してきた権力は、こんどは“人間共和”によって支配されるようになるだろう、と」(『永遠の都ホール・ケイン:新庄哲夫訳)
 他の社会の醒めきったような人から悟りきったような口調で、
「たかが野球じゃないか」
 といわれるくらい腹の立つことはない。
 野球をただの遊びと考えている人には「たかが」かも知れないが、人生を賭けてまで野球を追いつめていって、その奥行きの深さ難しさを知った者の口からは、「たかが」などという言葉は、たとえ頭のてっぺんに五寸釘を打ち込まれても出てこないだろう。
(『王貞治 回想)王貞治
 学ぶのに飽きた人は、何ひとつ学ばなかった人だ。(『蝿の苦しみ 断想エリアス・カネッティ:青木隆嘉訳)
 きつぱりと冬が来た
 八つ手の白い花も消え
 公孫樹(いてふ)の木も箒になつた

 きりきりともみ込むような冬が来た
 人にいやがられる冬
 草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た

 冬よ
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

 しみ透れ、つきぬけ
 火事を出せ、雪で埋めろ
 刃物のやうな冬が来た(「冬が来た」)

(『高村光太郎詩集高村光太郎

詩歌
「あなたはなんでも喜べるらしいですね」あの殺風景な屋根裏の部屋を喜ぼうとしたパレアナの努力を思い出すと、少し胸がつまってくるような気がしました。
 パレアナは低く笑いました。
「それがゲームなのよ」
「え? ゲームですって?」
「ええ、『なんでも喜ぶ』ゲームなの」
「遊びのことを言ってるのよ。お父さんが教えてくだすったの。すばらしいゲームよ。あたし、小さい時からずうっと、この遊びをやってるのよ」
(『少女パレアナエレナ・ポーター:村岡花子訳)
 このプンニカーおばちゃんの話を読むたびに感心するのは、「作られた常識」のわなを次々と、軽々と、乗り越えてゆく、その自由さ、精神の軽さです。もちろん、その軽さは、軽薄さではありません。強靭な精神の瞬発力に支えられた軽さなのです。
「鳥のように軽くあらねばならない、羽根のようではなく」というポール・ヴァレリーの言葉を思いだします。
 そう。羽根は確かに軽く、風に乗れば高く舞い上がるかもしれませんが、風が無くなると堕ちてしまいます。しかし、鳥はその必死の羽ばたきで、自ら軽く飛ぶのです。(中略)
 バラモンは最も高い階級で、いわゆる教養があるはずです。対してプンニカーは差別され、恵まれない階級に属していました。満足な教育も受けていないのです。しかし、バラモンには精神の停滞があり、プンニカーには精神のはつらつとした瞬発力がありました。
(『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う友岡雅弥

ブッダ宗教
 ゲルハルト・フライは、フェルマーの最終定理の真偽が、谷山=志村予想が証明できるかどうかにかかっているというドラマティックな結論を導いたのである。つまり、もしも谷山=志村予想が証明できれば、自動的にフェルマーの最終定理を証明したことになるのだ。こうして、この100年間ではじめて、難攻不落の城に攻め入る道が見えたかに思われた。フライが言うには、フェルマーの最終定理を証明するために乗り越えなければならないハードルは、谷山=志村予想を証明することだけだというのだから。(『フェルマーの最終定理サイモン・シン:青木薫訳)

数学
 マダム・ガイヤールはまだ30にもなっていないのに、もうとっくに人生を卒業していた。外見は齢相応にみえた。と同時にその倍にも見えたし3倍にも見えた。100倍も歳月を経たミイラ同然だった。心はとっくに死んでいた。幼いころ、父親に火掻き棒で一撃をくらった。鼻のつけ根のすぐ上。それ以来、嗅覚がない。人間的なあたたかさや冷たさ、そもそも情熱といったもの一切に関心がない。嫌悪の感情がない代わりにやさしさもない。そんなものは、あの火掻き棒の一撃とともにふきとんだ。絶望を知らない代わりに喜びも知らない。齢ごろになって男と寝たとき、何も感じなかった。子どもが生まれたときもそうだった。生まれた子が次々と死んでいっても悲しいとは思わなかった。生き残ったのがいても、うれしいというのではない。夫に殴られているとき、からだをすくめたりしなかった。その夫がコレラのために収容所で死んだとき、ホッとしたりもしなかった。彼女が感じる唯一のものは月経のはじまり。ほんの少しだが気分がめいる。月経が終わると少しばかり気が晴れる。ほかにこの女は何一つ感じない。(『香水 ある人殺しの物語パトリック・ジュースキント池内紀訳)
 普通は、喉の渇きをいやすには、夕方のスープと、朝の10時ごろに配給される代用コーヒーで十分だった。しかしそれではもはや十分でなかった。渇きは私たちを責めさいなんだ。それは飢えよりもずっと切実だった。飢えは神経の言うことに従い、小康状態になり、苦痛、恐怖といった感情で一時的に覆い隠すことができた(私たちはイタリアから汽車で運ばれて来た時、このことに気がついた)。渇きはそうではなくて、戦いを決して止めなかった。飢えは気力を奪ったが、渇きは神経をかき乱した。そのころは昼も夜も、渇きがつきまとって来た。(『溺れるものと救われるものプリーモ・レーヴィ:竹山博英訳)

ナチス強制収容所
 デパートは、そもそも「百貨店」とうい、およそ汗くさい、どうにもよろず屋的なバッタ商売の英訳に過ぎない言葉であり、歴史的に見れば「闇市」の発展形として成立した、一種のハイパー闇市なのだ。
 疑うのならまわりを見回してみるが良い。
 T急、S武は地上げ屋の出店だし、M越は呉服屋出身の高利貸しがおっ建てたものだ。T島屋だって、もとはといえば闇屋まがいの商売をやっていたS木屋を乗っ取って出来上がった店にほかならない。
 とすれば、いまだにアメ横じみた闇市臭を遺しているアブアブ赤札堂は、むしろデパートとしての出自に忠実な、王道を行く店なのである。
(『山手線膝栗毛小田嶋隆
 助手に採用されるということはアカデミアの塔を昇るはしごに足をかけることであると同時に、ヒエラルキーに取り込まれるということでもある。アカデミアは外からは輝ける塔に見えるかもしれないが、実際は暗く隠微なたこつぼ以外のなにものでもない。講座制と呼ばれるこの構造の内部には前近代的な階層が温存され、教授以外はすべてが使用人だ。助手―講師―助教授と、人格を明け渡し、自らを虚しくして教授につかえる。その間、はしごを一段でも踏み外さぬことだけに汲々とする。雑巾がけ、かばん持ち。あらゆる雑役とハラスメントに耐え、耐え切った者だけがたこつぼの、一番奥に重ねられた座布団の上に座ることができる。古い大学の教授室はどこも似たような、死んだ鳥のにおいがする。
 死んだ鳥症候群という言葉がある。彼は大空を悠然と飛んでいる。功成り名を遂げた大教授。優雅な翼は気流の流れを力強く打って、さらに空の高みを目指しているようだ。人々は彼を尊敬のまなざしで眺める。
 死んだ鳥症候群。私たち研究者の間で昔からいい伝えられているある種の致死的な病の名称である。
 私たちは輝くような希望と溢れるような全能感に満たされてスタートを切る。見るもの聞くものすべてが鋭い興味を掻きたて、一つの結果が次の疑問を呼び覚ます。私たちは世界の誰よりも実験の結果を早く知りたいがため、幾晩でも寝ずに仕事をすることをまったく厭(いと)うことがない。経験を積めば積むほど仕事に長(た)けてくる。何をどうすればうまくことが運ぶのかがわかるようになり、どこに力を入れればよいのか、どのように優先順位をつければよいのかが見えてくる。するとますます仕事が能率よく進むようになる。何をやってもそつなくこなすことができる。そこまではよいのだ。
 しかしやがて、最も長けてくるのは、いかに仕事を精力的に行っているかを世間に示すすべである。仕事は円熟期を迎える。皆が賞賛を惜しまない。鳥は実に優雅に羽ばたいているように見える。しかしそのとき、鳥はすでに死んでいるのだ。鳥の中で情熱はすっかり燃え尽きているのである。
(『生物と無生物のあいだ福岡伸一
 私は、教師にとって、子どもというものが教える対象でしかないということ、あるいは教える対象としてしか子どもを見ることができないという事実が根本にあって、教師をひどく冷たい、非人間な存在にしてしまっているように感じているのです。(『問いつづけて 教育とは何だろうか林竹二

教育
 人間が遊ぶ能力を失わない、というのは、こう考えると大変すばらしいことといえる。一方ではそれは、人間が一生涯学習能力を持ちつづけることを意味している。また逆に、人間は遊ぶおかげで、種々の能力をますますのばしていく機会を持つことになる。(『知的好奇心波多野誼余夫〈はたの・ぎよお〉、稲垣佳世子)
「いいか、ここで本気にならないと取返しはつかないぞ。過ぎ去った事はすっかり忘れていい。これからが勝負だ。自信をもって堂々とやれ。いちばん強いのは本気だということだ」(「青嵐」)『一人ならじ山本周五郎
 精神とは同一のものをきらうものであります。列車に乗って外の景色をながめております場合、いつまでもいつまでも同じような荒野が広がっている場合には、精神はたいくつします。また、一つの論文がただ長いだけで、内容的には同じことがくり返されてくる場合には、精神はそのような論文を読み続けることを拒否するのであります。それはことばを換えて申しますと、精神は単調、モノトニー、ということをきらうものであるということであります。あるいは精神は反復をきらうと言ってよいかもわかりません。精神は常に変化を求めるものであります。たとえば、一つのオーケストラを聞く場合、同じメロディーや、同じリズムがくり返されることにはたえられず、新しい旋律のあらわれるのを常に期待するものであります。
 要するに、精神というものは、すでにあるもの、すでにつくられたもの、すでに自分の所有するものには満足しないのであります。精神は常に変化を求めるもの、常に新たなるものにあこがれるものであります。しかも単に新しいもの、変わったものを求めるだけではなく、〈より〉よいものを求めるものであります。〈より〉よいもの、〈より〉美しいもの、〈より〉正しいものを求めるもの、それが人間の精神であります。
 なお、精神は新しいものを求めますとともに、調和を求めるものであります。変化を求めると申しましても、ただ雑然と多くのものがあるということを精神は喜びません。ましてものごとが対立し、矛盾したままで存在することには満足しません。満足しないだけではなく、そのような対立や闘争にはしんぼうができず、すべてのものに平和と調和を求めるものであります。このようにして精神とは、同一なるもの、無変化なるもの、不調和なるものに満足しないだけではなく、さらにみずから進んでその新しいもの、〈より〉よいもの、〈より〉調和あるものをみずからつくるものであります。精神によって、新たなるもの、〈より〉よいものは生み出されるのであります。精神こそ創造の原理であり、時間と歴史の源泉なのであります。
(『「自分で考える」ということ澤瀉久敬〈おもだか・ひさゆき〉)
「おまえたち、だと?」私が言った。「おれたち? おれは、おれとおまえのことについて話してるんだ。おれたちやおまえたちについて話そうとしているんじゃない」(『レイチェル・ウォレスを捜せロバート・B・パーカー:菊池光訳)
 老いの意味とは何だろうか。進歩主義という宗教の中に入っていると、老いも死もあたかも存在しないかに見えた。高度経済成長の時代、人々は進歩を求めて都会でがむしゃらに働いた。ある日突然、田舎に残してきた親が倒れ、この世代は初めて老いの問題に直面した。そして今、自分たちの老いを迎えるに至った。高度成長を支えた世代を襲った自らのアイデンティティを突き崩すショックが二つあった。一つはオイルショック。もう一つが「老いる」ショックである。(『老人介護 じいさん・ばあさんの愛しかた三好春樹

介護
 オムツにしない工夫こそが介護なのである。オムツに出た便を処理するのは、介護ではなく“後始末”にすぎない。(『老人介護 常識の誤り三好春樹
 ロック界の現状は、スプーンを曲げる程度の超能力で乗り切れるほど、クリーンなものではない。ロックで売れるためには、彼(超能力少年の清田君)は、スプーンなんかよりも、まず自分の信念を曲げるところから出発しなければならない。ロックはパワーを伝えたりはしない。パーがワーと騒ぐだけだ。(『安全太郎の夜小田嶋隆
 そこに電気を流して神経を活発化させるとものすごく気持ちいい場所、というのがある。
 それを知ったネズミは、自分でレバーを押して電流を流せるようになるから、自分の快感をコントロールできる。そうすると、もう水も飲まない、餌も食べない、ずっとレバーを押し続ける。気持ちいいんだろうね。それで結果的にどうなるか? レバーを押し続けて死んじゃうんだ。そのくらい快感に感じる場所があるというのは驚きでしょ。それで、その場所を〈報酬系〉と呼ぶようになったんだ。
(『進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線池谷裕二

脳科学
 情報、調査・分析の世界に長期従事すると独特の歪みがでてくる。これが一種の文化になり、この分野のプロであるということは、表面上の職業が外交官であろうが、ジャーナリストであろうが、学者であろうが、プロの間では臭いでわかる。そして国際情報の世界では認知された者たちでフリーメーソンのような世界が形成されている。
 この世界には、利害が対立する者たちの間にも不思議な助け合いの習慣が存在する。問題は情報屋が自分の歪みに気付いているかどうかである。私自身も自分の姿が完全には見えていない。しかし、自分の職業的歪みには気付いているので、それが自分の眼を曇らせないようにする訓練をしてきた。具体的には常に複眼思考をすることである。
(『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて佐藤優

フリーメイソン
 5月、アブグレイブ刑務所での米兵による虐待行為が明るみに出た。世界中に発信されたその写真は、おぞましさに目をおおいたくなるような代物(しろもの)だった。イラク人捕虜を全裸にした上での自慰行為の強制、覆面(ふくめん)をさせた上で殴打し、踏みつける、人間ピラミッド、タブーである豚肉を食べさせる等々。しかも、実行している米兵は指をさして笑っている。人間の尊厳を踏みにじった、この同胞への蛮行。
 その話題に変えると、(イマード・)リダはとたんに声を荒らげた。耳にするや否や、まるで目の前に米軍部隊がいるかのように、今まで理性的だった男は激しく興奮しだした。
「おまえたちはイラクを解放すると言っておいて、こんなひどい仕打ちをする。おまえらが言っていることは全部嘘だ! 世界はこんな蛮行は許せないと言っているぞ!」
 私は米兵の代わりに、怒鳴られる格好となった。
 アブグレイブで起こった出来事が、メディアを通じて流されたことで、当事者であるイラク人たちが、どれほど屈辱的な思いをさせられたことか。民族的トラウマといっていい。五輪出場を決めることで、同胞に蔓延(まんえん)したこの屈辱感を一掃(いっそう)したかったのだと、リダは言う。
(『蹴る群れ木村元彦

アメリカ暴力サッカー
 その代表が、アメリカ報道界の長老で、内政と外交政策の評論家にして自由民主主義の理論家でもあった、ウォルター・リップマンである。リップマンのエッセイ集を開いてみれば、あちこちに「自由民主主義思想の進歩的理論」というような副題が見つかることだろう。
 実際、リップマンはそうした組織的宣伝を進める委員会にもかかわっており、その効果を充分に認識していた。「民主主義の革命的技法」を使えば「合意のでっちあげ」ができる、と彼は主張した。すなわち、新しい宣伝技術を駆使すれば、人びとが本来望んでいなかったことについても同意を取りつけられるというわけだ。
 彼はこれをよい考えだと思ったし、必要だとさえ思っていた。なぜならば「公益に関することが世論から抜け落ちている」ように、公益を理解して実現できるのは、それだけの知性をもった「責任感」のある「特別な人間たち」だけだと考えていたからである。
 この理論からすると、万人のためになる公益は少数のエリート、ちょうどデューイ派が言っていたような知識階層だけにしか理解できず、「一般市民にはわからない」ということになる。こうした考え方は何百年も前からあった。
 たとえば、これは典型的なレーニン主義者の見方でもあった。革命をめざす知識人が大衆の参加する革命を利用して国家権力を握り、しかるのちに愚かな大衆を、知性も力もない彼らには想像もつかない未来へ、連れていくのだとするレーニン主義者の考えと、これはそっくりではないか。自由民主主義とマルクス・レーニン主義は、そのイデオロギーの前提だけをとってみると非常に近いのだ。私の思うに、それが一つの理由で人びとは自由民主主義からレーニン主義、あるいはその逆へと、自分では転向したという意識もなしにあっさりと立場を変えてしまえるのだろう。単に、権力がどこにあるかの違いだけだからだ。
(『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会ノーム・チョムスキー鈴木主税訳)

メディアプロパガンダ
 あの夜にかぎって
 空襲警報が鳴らなかった
 敵が第一弾を投下して
 七分も経って
 空襲警報が鳴ったとき
 東京の下町は もう まわりが
 ぐるっと 燃え上っていた

 まず まわりを焼いて
 脱出口を全部ふさいで
 それから その中を 碁盤目に
 一つずつ 焼いていった
 1平方メートル当り
 すくなくとも3発以上
 という焼夷弾
〈みなごろしの爆撃〉

 三月十日午前零時八分から
 午前二時三七分まで
 一四九分間に
 死者8万8793名
 負傷者11万3062名
 この数字は 広島長崎を上まわる

 これでも ここを 単に〈焼け跡〉
 とよんでよいのか
 ここで死に ここで傷つき
 家を焼かれた人たちを
 ただ〈罹災者〉で 片づけてよいのか

 ここが みんなの町が
〈戦場〉だった
 こここそ 今度の戦争
 もっとも凄惨苛烈な
〈戦場〉だった

(「戦場」 昭和43年8月)『一戔五厘の旗花森安治

原爆
「オウムはA、U、Mの三つの音で成り立っている。サンスクリットでは、Aはアルファベットの最初の音、Mは最後の音であり、Uはその間のすべての文字を表している。だから、オウムというマントラには、サンスクリットの言語構造すべてが込められている。それは、すべての言葉とすべての存在の本質なのだよ。我々の古代からの伝統によれば、存在そのものが『オウム』という音から生まれた、とされている」(ゴーパールジー/著者が通った学校の先生〈クラスは一つしかなく、10~20人程度の規模だった〉、40歳の哲学者)『君あり、故に我あり 依存の宣言サティシュ・クマール:尾関修、尾関沢人訳
「紙と文字」を媒体にして密室の中で生産され消費されるのが近代小説であるとすれば、物語は炉端や宴などの公共の空間で語り伝えられ、また享受される。小説(novel)が常に「新しさ」と「独創性」とを追及するとすれば、物語の本質はむしろ聞き古されたこと、すなわち「伝聞」と「反復性」の中にこそある。独創性(originality)がその起源(origin)を「作者」の中に特定せずにはおかないのに対し、物語においては「起源の不在こそがその特質にほかならない。物語に必要なのは著名な「作者」ではなく、その都度の匿名の「話者」であるにすぎない。それは「無始のかなたからの記録せられざる運搬」(※柳田國男『口承文芸史考』)に身を任せているのである。また、物語が「聴き手または読者に指導せらるる文芸」であることから、その意味作用は「起源」である話者の手を離れて絶えず「話者の意図」を乗り越え、さらにはそれを裏切り続ける。意味理解の主導権が聴き手あるいは読者に委譲されることによって、物語は話者の制御の範囲を越えて「過剰に」あるいは「過小に」意味することを余儀なくされる。つまり、物語の享受は聴き手や読者の想像力を梃子にした「ずれ」や「ゆらぎ」を無限に増殖させつつ進行するのである。それゆえ、物語の理解には「正解」も「誤解」もありえない。そして「作者の不在」こそが物語の基本前提である以上、それは反独創性、無名性、匿名性をその特徴とせざるをえないであろう。
 そもそも「独創性」に至上の価値を付与する文学観は、「作者」を無から有を生ぜしめる創造主になぞらえ、「作品」をバルトの言葉を借りれば「作者=神からのメッセージ」として捉える美学的構図、あるいは一種の神学的図式に由来している。しかし、先にも述べたように、いかに独創的な作者といえども、言語そのものを創造することはできない。彼もまた、手垢にまみれた使い古しの言葉を使って作品を紡ぎ出すほかはないのである。たとえ新たな語彙を造語したとしても、その意味はすでに確立した語彙や語法を用いて定義され、説明されねばならない。われわれは常にすでに特定の「言語的伝統」の内部に拘束されているのであり、それを内側から改変することはできても、それを破壊し、その外部に出ることは不可能なのである。それゆえ、独創性なるものは、既成の語彙や文の新たな使用と組合せ、あるいはコンテクストの変容による新たなメタファーの創出などの中にしか存在しない。誰も言語を発明することはできず、それを利用することができるだけだという意味にいて、あらゆる言語活動はわれわれを囲繞する既成の言語的伝統からの直接間接の「引用」の行為と言えるであろう。その限りにおいて、バルトが指摘する通り、テクストとは「引用の織物」にほかならないのであり、そのことは口承の「物語」についてならばさらによく当てはまるはずである。
(『物語の哲学野家啓一

メアリアン・ウルフ