私流に言い替えれば、公共圏・共同性を欠いた悪しき意味での「私化」が進行しているのである。公共圏・共同性が求められているのは確かだと思う。しかし、現在の「私化」は、旧来の公共圏・共同性が若い世代に通用しなくなったことを背景として生じているのであり、いま求められているのは新たな公共圏・共同性ではないだろうか。それなのに石原(慎太郎)は、忠臣蔵物語を持ち出すことによって、若い世代にはもはや通用しなくなった「滅私奉公」の世界を復活させようとしているのである。
 公共圏・共同性のモデルとして、忠臣蔵という近代日本の覇権的男性性を持ち出すことは、ポストモダン状況においてはアナクロニズム以外の何ものでもない。
(『男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学熊田一雄