ところが、ポツダム宣言を日本政府が受諾した直後から、連合国側、特にアメリカ政府の様子がおかしくなってくる。9月2日、米戦艦ミズーリの艦上で、交戦双方の政府代表が、政治的宣言であるポツダム宣言を条約化することによって法的拘束力のあるものとする「【降伏】文書」に調印した。日本政府は「ポツダム宣言」を受諾し、「日本国軍隊の無条件降伏」を一条件に休戦することに合意したのだから、調印したのは国際法上厳密に言えば「休戦協定」である。それを連合国側は意図的に「降伏文書」と名付けたのである。(『世界がさばく東京裁判 85人の外国人識者が語る連合国批判』佐藤和男監修)

東京裁判日本近代史
 本業をそっちのけにしてある事に熱中する人を「何々バカ」という。その呼び方に従うなら、梅原猛上山春平などはさしずめ「古代バカ」というべきであろう。(『風の書評』百目鬼恭三郎)

書評
 白いところに黒のペンキを塗りこむ。そうなったら最後、いくら消そうとしても、完全な白に戻るのは、ほぼ不可能だ。もちろん、強力なペンキを上から塗りたくる方法もある。しかし時間が経てば、最初にはがれるのはそんな上塗りの部分であり、後からやはり、あの「黒み」が中から顔を出してくるだろう。
 日本は戦後、「東京裁判史観」なるものによって多大な被害を受けてきた。
(『日本軍は本当に「残虐」だったのか 反日プロパガンダとしての日本軍の蛮行』丸谷元人)

日本近代史
 ボールは分子に衝突し、空気分子はボールの表面の分子と核融合するだろう。衝突のたびに大量のガンマ線が放射され、核融合によって生じた粒子が周囲に産卵されるだろう。(『ホワット・イフ? 野球のボールを光速で投げたらどうなるか』ランドール・マンロー:吉田三知世訳)
 空腹の状態でご飯を食べれば、小腸であっという間に吸収されるので、血糖値が跳ね上がってしまいます。そうすると、すぐに膵臓からインスリンが分泌され血糖値を下げてくれますが、これを繰り返しているいると、やがてインスリンが効かなくなり、血糖値が下がりにくくなるのです。ところが、先に野菜などの食物繊維や脂肪分が含まれるおかずを食べておくと、糖質の胎内への吸収が緩やかになり、インスリンに頼らなくても血糖値の急上昇を避けられます。こうして、血管壁へのダメージを最小限に抑えながら、脳に栄養分を補給できるのです。(『臓器の急所 生活習慣と戦う60の健康法則吉田たかよし
 商売の中心となる「あなた」と「他人」が存在するのが商売の最小単位です。このとき、「時間」という制約から逃れることはできません。
【「自分がいて、誰かがいて、時間が流れている」】
(『いくらやっても決算書が読めない人のための 早い話、会計なんてこれだけですよ!』岩谷誠治)

会計
【すべての領収書は経費で落ちます。しかし、「仕事で使ったという立証」が必要、という“但し書き”がつく】のです。(『経費で落ちるレシート・落ちないレシート』梅田泰宏)
 顧みるまでもなく、私の責任は重い。
 その重みは常に私の深層心理を支配してきた。「沖縄慰霊の日」(6月23日)などふと夜半に眼を醒まし、その地の同胞とそこに眠る無数の英魂を想い、鋭利な刃で五体を剔(えぐ)られるような気持に襲われたことすら一再ならずあった。それは、多分に運命のなせる業とはいえ、国家の外交の枢機に与(あずか)ってしまった私が歴史に対して負わなければならない「結果責任」である。
(『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス 核密約の真実若泉敬
 戦争は高度に【文明】的な【制度】である。この大前提を、ひとりひとりが、しっかりと把握することなくして、われわれの社会から、戦争がなくなることはないだろう。(『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす小室直樹
 アルバート・モルツは、非米活動委のトーマスやランキンの手合いがドイツでゲッペルスやヒムラーのやったことをここアメリカでもやろうとしている、ときっぱり言い、64ドル質問には、ストリプリングにたいして、「その質問にはもう答えましたよ、キスリングさん」と、わざと言いまちがえる(議事録では訂正されている)。キスリングとは、いうまでもなくナチ占領下のノルウェーでナチ協力のかいらい政権をつくった男の名で、当時は売国奴の別名だった。(『ハリウッドとマッカーシズム』陸井三郎)
 ここで重要なことは、こういったヨーロッパの経済人たちが決して日本の味方をしているのでもなければ、反米で団結しているわけでもないという点である。彼らは国家間の協力とか友好の本質を利害関係の均衡に見いだしているために、その均衡を欠くような、あるいは計算に入れないような経済的行為は馬鹿げているとしか言いようがないのであった。
 それは経済行為に限らず安全保障にしても、お互いの利害関係が均衡を保つべく交渉するのは政府の仕事であり、二国間に限らず多角的に戦略を練ることは常識である。
(『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道松原久子
 それからわずか3カ月で、満州全土を占有し、昭和7年3月には反張学良派の民間人の要請に応じて、関東軍は身を退き、満州人による満州国を建国した。
 その仕掛人が、42歳の若き作戦参謀、石原莞爾〈いしわら・かんじ〉中佐だった。
「たった1万の兵隊で、近代装備の22万の張学良軍を制圧し満州全土を占領したとは信じられない」
 これが北京や天津、上海に駐留する英、米、仏、伊国武官たちの共通話題となる。当然ながら、天津や北京駐在のアメリカ軍の司令官からはワシントンの陸軍省、参謀総長のダグラス・マッカーサーにも報告された。報告されずとも、各紙が満州事変を報道していたから、全世界の人たちが知るところとなる。
(『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之)
「お前、このいくさというものはね、動くエネルギーがいくさするんで、飾ってあるお雛さまがいくさするんじゃないぞ」(『石原莞爾 満州国を作った男』別冊宝島)

石原莞爾
 芭蕉は『野ざらし紀行』のなかで「汝が性(さが)のつたなきをなけ」ということを言いました。旅の途次、打ち捨てられた赤子が泣き叫んでいた。だが、芭蕉はそれを救ってやろうとしない。
 赤ん坊よ、お前さんは自分の不運な境遇に泣くしかないのだよ。だけど、不運はお前さんだけじゃない、世間のみんなもそう、私だってそうなのだよ、じつは。
「汝が性のつたなきをなけ」とはこういう意味でしょう。
 なんと非情な突き放し方でしょうか。ここに見られるのは、他人を押しのけてでも生きなければならない人間の非情さです。
(『無名の人生渡辺京二
 この「剽窃事件」は、三角寛〈みすみ・かん〉以外のものがサンカについて語ると、サンカ及び三角寛から抗議を受けることになるということを世に知らしめる契機となった。サンカとの密約について、サンカ用語を使用する権利は、三角寛ただ一人に帰属するということも、この事件によって、ジャーナリストの間の「不文律」となっていったようである。(『サンカと三角寛 消えた漂泊民をめぐる謎』礫川全次)

サンカ
 日本の戦後にはそこへ、マルクス主義の風靡という要素が加わり、マゾヒズムはいやが上にも激症化した。東京裁判史観によって過去の日本を断罪しただけではなく、日本を「遅れた資本主義国」と規定することで二重の断罪をしたわけだ。その象徴的な例が、戦前の1932年にコミンテルンから日本共産党に与えられた運動方針、いわゆる「32年テーゼ」に沿って、明治維新をブルジョワ革命ではないとし、明治国家を絶対主義王制と規定した史観であり、それは現在の社会科・歴史教科書にまで尾をひいている。(『「悪魔祓い」の現在史 マスメディアの歪みと呪縛稲垣武

メディア
 先に来たものは、壁際の自分の机を文庫と一所におろして、自分の席にもって行きますが、その時、先輩の人の机も並べておきます。あとから来た先輩はそれを見て鄭寧(ていねい)にお礼をいいます。これが小さい子には非常に嬉しかったものです。子供たちは先生からも教わりますが、塾長という、教生格の先輩が、先生に代って教えたり、注意したりもします。この「朝読み」の素読の声で、子供の頭の良し悪しはたいてい分ったもので、大勢の中で、「あれは誰さんの声」などといわれるようにハッキリしたのは、必ずしも大きい声ではなくても、際だって出来のいい子にきまっていたそうです。(『武家の女性山川菊栄

日本近代史
 そもそも日本の首相も、政治家も、保守派の論客も、靖国神社とは何かを知らない。
 英霊とは何かを知らない。
 靖国神社が「奉慰顕彰」(ほういけんしょう)の施設であること、「顕彰」とは何かを知らない。
 靖国神社の思想と、千鳥ケ淵御苑の思想は、全然違うということを知らない。
 靖国神社とアーリントン墓地が、全然違うということも知らない。
 靖国神社を将来どうしたいのか、考えてもいない。
 自衛隊員が戦争で死ぬ日が来たら、どこに祀(まつ)るのかを考えていない。
(『保守も知らない靖国神社小林よしのり

日本近代史
 21世紀のアインデンティティー・ウォーが開始されたのだ!!
 では我々日本人のアイデンティティーとは何だ?
 そもそも日本人とは何者なのか?
(『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2小林よしのり

日本近代史
 平和
 平和の反対は…
 戦争
 違う
「平和」という(状態)の反対は…
「混乱」という(状態)
 では戦争の反対は?
「戦争」という(手段)の反対は…
「話し合い」という(手段)
(『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論小林よしのり

日本近代史
「義勇隊にとられた時は、どんな気持がしましたか?」
「とられたのではありません。自分で行ったのです。自分の【精神】で行ったのだから、誰にも文句はいいません」
(『高砂族に捧げる』鈴木明)

台湾
 さらに驚くべきは、日本の“侵略”なるものを批判し続ける反日国家・中国毛沢東首席もが日本の戦争に感謝の言葉を述べていたのである。
 昭和39年7月10日、北京を訪れた佐々木更三(こうぞう)日本社会党委員長が過去の戦争に対する中国への謝罪を口にしたとき、毛沢東はこう返したのだった。
《何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だったのです》(毛沢東著『毛沢東思想万歳』下巻、三一書房)
日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』井上和彦

日本近代史
 なぜ、われわれは、かつてあれほどはっきり持っていた「日本の自画像」を持てなくなってしまったのか。このことは、現在のわれわれが「日本」について考えるとき、まず絶対に脇において進むことのできない、大切な問いだと思うのです。(『日本人としてこれだけは知っておきたいこと中西輝政

日本近代史
 阪神・淡路大震災から5周年目にあたった、2000年1月17日の新聞各紙は大々的に震災特集を行いました。どの新聞をみても、特集記事のキーワードは被災者の「悲しみ」で貫かれていた。あるいは、震災の被災者が「今どういう生活を送っているか」という報道も、溢れています。こうした視線もたしかに大切ではあります。しかし、震災の教訓として日本人にとって、とりわけ「社会の公器」と自称し「公」を担う日本のマスコミにとって、最も大事なことは、言うまでもなく今後の防災をどうするのかという点にあったはずです。(『日本の「敵」中西輝政
 こんなことがあった。與一〈よいち〉の友達に、いわゆる部落出身者がいた。與一は、この友達と良く遊び、ときには、部落に行って飯まで食べて帰って来る。家の者に色々注意されると、
「同じ人間じゃ、何も変わっとりゃせん。変な目で見たら、誰でも変に見える」
 と答えて、家の者の言うことをきかなかった。この性格は終生変わらず、植民地であった台湾でも、漢民族や原住民族に接するときには、一人の同じ人間として付き合っている。この人間性が、後に、異民族の人達からも尊敬される八田與一の根底を成している。
(『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三)

日本近代史
 実は中卒でも従業員1000人以上の会社の人のほうが、大卒で従業員999人以下の人の生涯賃金よりも高いのです。(中略)
 学歴と年収(相関係数0.93)よりも、企業規模と年収(相関係数0.96)のほうが、強い相関関係があります。
(『借金の底なし沼で知ったお金の味 25歳フリーター、借金1億2千万円、利息24%からの生還記金森重樹
 惨憺たる敗戦によってそれまでの神がかり的な皇国思想の迷夢から醒めた日本人は茫然自失した。大多数の知識人も喪家の犬のように右往左往した。戦争に積極、消極を問わず協力した知識人は、そのことを負目としていたうえ、戦犯扱いされる恐れもあったから、その贖罪と救済のためにも何か強力な救い主、メシアが必要だった。
 そこへ戦争に反対して17年も獄中にあったという共産党幹部が出獄し、凱旋将軍のように迎えられた。また彼等の信奉する共産主義も革命とプロレタリアートの独裁による社会主義の建設を経て、共産主義社会という千年王国が地球上に実現するという福音を説くものであったから、メシアとしては十分の資格を備えており、風にそよぐ葦のようなか弱いインテリ連中は先を争って共産主義になびいた。
(『「悪魔祓い」の戦後史稲垣武

日本近代史
 私は最近、ウィンストン・チャーチルが妻のウィニーとやりとりした書簡を、読む機会があった。
 日本人についてさまざまなエピソードを書いているが、許容範囲を逸脱した差別的表現で、日本人を侮蔑している。イギリス人からそのような醜い言葉が発せられたのを、耳にしたことはない。罵詈雑言というか、これでもかと貶(おとしめ)る表現を使っていた。
(『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』ヘンリー・S・ストークス)

日本近代史
 この本には、戦後世代を覚醒させる力がある。(小林よしのり)『パール判事の日本無罪論田中正明

パール判事日本近代史