たとえ「憲法」と題された法律があったとしても、憲法は本質的に慣習法なのです。大事なのは法の文面ではなく、慣習にあるのです。
 つまり、たとえ憲法が廃止されなくても、憲法の精神が無視されているのであれば、その憲法は実質的な効力を失った、つまり「死んでいる」と見るのが憲法学の考え方なのです。
 だからヒトラーが政権を取って、全権委任法が制定されたら、そこで憲法は死んだと考える。憲法の精神が行われなくなった時点で、その憲法は無効になったというわけです。
(『日本人のための憲法原論小室直樹
 地球は水の惑星と呼ばれていますが、実は海水として地球の表面を覆っている大量の水は、もともと地球にあったものではありません。(中略)海を形成している大量の水分の起源は、彗星だと考えられています。42億年前から38億年前にかけて、彗星が次から次へと大量に地球に衝突しました。彗星は、別名「汚れた雪だるま」と呼ばれています。その名のとおり、彗星を構成している成分は、ほとんどが水の凍ったもので、その中に少量の有機物などが混ざっています。(『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議吉田たかよし
 いずれにせよ東京裁判における11人の判事の中で、「意見書」などといった柔らかい言葉ではなく、「判決」としたためてから自らの反論を残したのはパルだけではなかったこと、さらにベルナール一人だけが本判決への「反対」を明確に綴った表題から自らの見解を書き始めていたことなどは、専門家を除けば我が国で多くの者の意識の上に戦後長らく上ってこなかったまぎれもない事実なのである。(『東京裁判 フランス人判事の無罪論』大岡優一郎)

日本近代史
 そもそも「従軍慰安婦」なる言葉は戦時中には存在しなかった。「従軍」という冠は「従軍記者」や「従軍看護婦」など、いわゆる軍が認めた軍属のみに付けられていたもので、それゆえ、それぞれの業者が率いる慰安婦たちは、当時はただ「慰安婦」と呼ばれていた。このように史実に反する「従軍慰安婦」なる造語が一般的に使われるきっかけとなった言われているのが、73年に出版された千田夏光氏の『従軍慰安婦』である。(『教科書が教えかねない自虐小林よしのり竹内義和、日本の戦争冤罪研究センター)

日本近代史
 わたくしは昭和15(1940)年に財団法人写真協会に入社し、日本初の女性報道写真家となりました。日中戦争たけなわのころのことです。
 その後、太平洋戦争の開始、終戦、復興、高度成長、バブル崩壊……と続く激動の時代を、報道写真家として活動してきましたが、時にはやむをえず写真から距離をおいて過ごした時期もあります。
 でも、昭和60(1985)年。昭和という時代が“還暦”を迎えるその年に、わたくしは写真家として完全復帰したのです。多くの同年代がリタイアしている71歳からの再スタートでした。
(『好奇心ガール、いま101歳 しあわせな長生きのヒント』笹本恒子)
 詩情の表現ということを除いては、写真の記録的な側面に興味を持ったことはない。生活から浮かび上がってきたような写真だけが私を惹きつけるのだ。見ることの歓び、感性、官能、イマジネーション、そういったものを心に留めて、カメラのファインダーの中にまとめ上げる。そんな歓びをいつまでも私は失わないだろう。
     ――アンリ・カルティエ・ブレッソン
(『写真術 21人の巨匠』より)
音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治』黒岩比佐子
 ポサドニック号事件で海舟が、ロシアと決定的に対立、断絶せずにロシア・カードを生かしていたと考えると、戊辰戦争に際して、ロシア公使が「いくらでも金を貸しますから、戦争の始末をつけなさい」と海舟にうるさく言ってきたと海舟が言っていることの意味がわかってくる。西郷隆盛が江戸総攻撃を考えるにあたって、一番恐れていたのはこのロシア・カードではなかったか。榎本武揚が蝦夷地に艦隊を率いて逃亡するにあたって、一番当てにしていたのは、このロシア・カードではなかったか。(『勝海舟と幕末外交 イギリス・ロシアの脅威に抗して』上垣内憲一)

勝海舟日本近代史
 彼らは性剽悍(ひょうかん)である上に首狩りの遺習をさえ伝え持っていた。この首狩りの習俗が大陸からの移住民を迎えてからいかんなく発揮されはじめたのだ。
 新移住民はつぎつぎと彼らの持つ鋭利な刃物で、その首を刎(は)ねられた。
(『もう日は暮れた』西村望)

台湾
 かけ離れたレベルの存在があると、世間ってのは叩こうとするか、目を背けようとするか、そのどっちかなんだ。(『FX最終兵器』兄貴)
新田先生は社交ダンスが好きでしたね。ステップを踏みながら踊っているうちにターンをする場所がなくなると、入り口のドアを開けて外でターンをして戻ってきました。先生は社交ダンスまで生真面目でしたよ」(『夫の悪夢』藤原美子)

藤原正彦
 彼らは困難に耐えて生き抜いてきた。その力は敬服すべきものだった。驚きとは、私たちが知らない何かを知っていて、時々、異世界からやってきたような不思議な発言をするからだった。後になって明らかになるのだが、その何かとは、この世界に生きる人々の「存在」の限界と範囲についてである。彼らはそれを知っていた。(『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳)

虐待
 古代西洋においては、論理学と分析哲学に偏っていたために、無を、目に見える事物の説明の一角をなす何かであるとする有益な見方になかなか近づくことができなかった。それとは対照的に、東洋の哲学者によって、無は何かであるとする概念は単純で理解しやすいものであり、そこから派生するものも否定的なものばかりではないという思想が作られた。(『無の本 ゼロ、真空、宇宙の起源ジョン・D・バロウ:小野木明恵訳)

ゼロ
 機械式時計が登場したのは14世紀のことで、当時は分針もなかった(分針が発明されるまでには、さらにおよそ300年かかる)。暗黒時代のヨーロッパ、宋時代の中国、あるいはペルシャ帝国の中心部に住んでいた小作農にとって、午後1時17分はそもそも存在していたのか?(『時間と宇宙のすべて』アダム・フランク:水谷淳訳)

時間論
 かつてチェスプレイヤーだった少年がいた。それぞれの駒の持つ潜在的な手筋が、色のついた光の閃きや軌跡を持つ物体として鮮明に見えるのが自分の才能のひとつだ、と彼は明かした。潜在的な手筋の展開が光る生き物のように見えて、どの光が局面を最強にさせ、緊張を最大にさせるかによって着手を選んでのである。ミスをしたのは最強ではない手を選んだときだったが、それは、これ以上ないほど美しい光の軌跡だった。――A・S・バイアット
(『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』フランク・ブレイディー:佐藤耕士訳、羽生善治解説)
甲野●ライト兄弟が飛んで1年くらいは、「あれは風に飛ばされたのであって、飛んだのではない」と主張していた当時有名な科学者がいたそうですね。しかしそれも、飛行距離が何キロ、何十キロと伸びていく中で、いつの間にか消えてしまった。実際にはわからないことだらけなのに現実に動いていて、日常的に人々が使っている。ですから、「科学的」とはどういうことなのか、というこをいったん権威から離れて考えるべきだと思いますね。(『響きあう脳と身体甲野善紀茂木健一郎

対談脳科学
 ――なにかこの人には足りない。
 と、子国は子罕(しかん)をみた。もともと心力のとぼしい人かもしれない。それゆえ情や知を湧かす力に欠けている。情というのは知識の温度を変え、知というのは情報の明度を変える。それによって見聞したことから雑色(ざっしき)や雑音が消え、ものごとの本質がみえることがある。そういうおどろきを子罕は与えてくれない。要するに、
 ――たいくつな人だ。
 と、子国は感じた。
(『子産宮城谷昌光
 僑(きょう)の問いは、ある知識量のうえにあり、それに答えるということは、知識というものを精神のなかで組み立てて示すということになる。(『子産宮城谷昌光
 恐怖の源、それは何より「死」である。肉体の死ばかりでなく、精神の死ともいうべき「狂気」である。直接的な恐怖はほとんど全て、このふたつの死へと収斂(しゅうれん)されると言っていいだろう。
 脆(もろ)い肉体に襲いかかる「苦痛」「暴力」「戦争」「大自然」「闇」「野獣」「病気」は肉体の死と結びついているし、自己の存在を揺るがす「嫉妬」「孤独」「喪失」「悪意」「怨霊(おんりょう)」「悪魔」「(人肉食などの)タブー破り」は狂気と結びついている。それら前段に当たる「未知」「不安」「他者」も同じだ。また「愚かさ」も大きな恐怖の種になる。愚かさゆえに人間は、自分で作りあげた半端な社会制度によって「偏見」「貧困」「差別」を産み、やはり緩慢(かんまん)な死へと自も他も追い込んでゆく。
(『怖い絵』中野京子)

美術
 DSMにおいて社会病質から反社会性人格障害へと名称が変更されたことは、顕著な社会行動障害を、社会的に誘発されるというより、より生物学的に説明されうる人格の変動要素と見なすように変化したことを意味する。(『サイコパス 冷淡な脳』ジェームズ・ブレア、デレク・ミッチェル、カリナ・ブレア:福井裕輝訳)

サイコパス
 神はつねに幾何したまう。
  ――プラトン
(『数学をつくった人びとE・T・ベル:田中勇、銀林浩訳)

数学
 蛇という単語には「毒」という意味も入ってきますが、蛇の特色といえば「脱皮」という生態です。蛇はデパートに行って服など買わなくとも、古くなったら捨てればいいのです。だから他の動物と比べると、蛇はいつでも体がきれいです。あれほど体がきれいな動物は他にはいないと思います。(『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章アルボムッレ・スマナサーラ

仏教スッタニパータ
 ピダハンには罪の観念はないし、人類やまして自分たちを「矯正」しなければならないという必要性ももち合わせていない。おおよそ物事はあるがままに受け入れられる。死への恐怖もない。彼らが信じるのは自分自身だ。(『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観ダニエル・L・エヴェレット:屋代通子訳)

キリスト教
カッセーゼ●では、被告人についてお話ししましょう。彼らはあなたの印象に残っていますか?

レーリンク●ああ、はい、被告人はほとんどが一流の人々でしたよ。全員がというわけではありませんが、大半が卓越した人々でした。海軍の人々、そして東條ですね、非常に頭が良かった。それは確かです。一部の者は非常に年老いた人々でしたね。荒木のような。広田も年をとっていました。でも、非常に頭が良かったと私は思います。

(『東京裁判とその後 ある平和家の回想』B・V・A・レーリンク、A・カッセーゼ:小菅信子訳)

東京裁判日本近代史
 考えてみると「泰平の」という語句には、江戸時代を「ペリーの『黒船』に腰を抜かすような情けない弱腰の江戸の武士たちが、まさに惰眠をむさぼっていた『泰平の世の中』だったのだ」という評価が込められているように思う。いかにも江戸を遅れた時代だと批判した明治時代人の歴史認識を示す表現ではないだろうか。つまり「泰平の」は、江戸時代をだめなものと思い込もうとした明治人によってアレンジされた狂歌なのではないかとも思われる。(『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典)

日本近代史
 このチーズは豆腐のように見えるが、イタリアのリコッタチーズは豆腐のように淡白な味である。そもそも豆腐自体、中国人が唐時代に北方民族のチーズを模倣して大豆で作ったものであり、味も食感も似ているのは当然であった。(『モチーフで読む美術史』宮下規久朗)

美術
 彼はうしろ約20メートルのあたりをよたよたと走っている異様な男を発見して、胆を潰した。その男は汗と垢と土に塗り込められていて、どす黒く光っていた。痩せ衰えた体躯に、顔面は骸骨の如く、くぼんだ奥に光る目はらんらんとして狂人のように鋭く据っていた。顎はとがり、頬骨は突出し、針のような髭が一面を覆っている。頭髪は伸び放題で、野生の怪獣のように見えたらしい。
 血と硝煙と泥にまみれた軍服はわずかに一部分しか残っていず、露出して黒ずんだ肌は無数に砲弾の破片が食い入って、その傷口が爛(ただ)れている。左腹部からは新しい血が流れ出し、左脚は血と埃でかたまっていた。
(『英霊の絶叫 玉砕島アンガウル戦記舩坂弘

戦争日本近代史
カップケーキ、iPhone、鎮痛剤――21世紀をむしばむ「3種の欲望」(『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実デイミアン・トンプソン:中里京子訳)

依存症
 自由ヲ贖(あがな)ウニ足ル十分ナ金ハナイ(『ドン・キホーテセルバンテス:牛島信明訳)
 観察された事実を理解できるようになるのは、少なくとも、その事実を理解するための理論の萌芽(ほうが)が現われてからである。ブラウン運動の場合、その考え方は新しいものではなく、きわめて古くからありながら、科学がようやくにして理解するための手立てを得たものだった。(『そして世界に不確定性がもたらされた ハイゼンベルクの物理学革命デイヴィッド・リンドリー阪本芳久訳)

ハイゼンベルク
 宇宙ビットからできている。すべての分子、原子、素粒子が、ビットという情報を記録している。そして、これら宇宙の構成要素間のすべての相互作用が、ビットを変化させることでその情報を処理している。要するに宇宙は計算をしているのだが、宇宙は量子力学の法則に支配されているので、宇宙は本質的に量子力学的なやり方で計算していて、そのビットは量子ビットである。結果的に、宇宙の歴史は、今も続けられている巨大な量子計算ということになる。宇宙は量子コンピュータなのだ。(『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?セス・ロイド水谷淳訳)
 すべての行為を私のうちに放擲(ほうてき)し、自己(アートマン)に関することを考慮して、願望なく、「私のもの」という思いなく、苦熱を離れて戦え。(三〇)
(『バガヴァッド・ギーター上村勝彦訳)

バガヴァッド・ギーターヒンドゥー教
 苦しみのなかから理解が生まれ、理解から生を癒す力が生じる。そしておそらくは、暴力によってむしばまれているこの国を癒す力も。(『戦争における「人殺し」の心理学デーヴ・グロスマン:安原和見訳)

戦争
〈日本は負けて占領軍が入ってくるが、占領政策がどのようになるかわからぬ。それ故、陛下とそのご一統の運命がどうなるかも分(ママ)からぬ。しかしわれわれとしては、天皇家のお血筋を守り通さねばならない。そのため、その一人である北白川の若宮殿下を隠匿して、万が一のために皇統を護持する。それが、本作戦の主旨である〉(『日本スパイ養成所 陸軍中野学校のすべて』斎藤充功、他)

中野学校
 鬱(うつ)でさえ悪いことばかりではない。最近の研究によれば、気分が落ち込むと思考力や注意力が増して、問題解決能力が向上する可能性がある。(『サイコパス 秘められた能力』ケヴィン・ダットン:小林由香利訳)

サイコパス
 日本では台湾の先住民を、高砂(たかさご)族と呼んでいる。昭和天皇が1923(大正12)年に、皇太子として台湾を訪問された時に、高山蕃のアミ族の男女の踊りを、ご覧になった。それまで先住民族は「蕃人」と呼ばれていたのを、日本の統治のもとで引き継いで、そのように呼んでいた。裕仁(ひろひと)親王が「それでは、あまりに気の毒だ」といわれて、「高砂族」と名づけられた。(『日本と台湾 ――なぜ、両国は運命共同体なのか加瀬英明
 彼ら(※日本の農民)は娯楽として難しい問題を出し合い解き合っていたという。
 日本の神社では「算額」といって難しい問題を解いた証として、解き方を解説した額を奉納したそうだ。今でも日本の神社にたくさん残っているという。
(『小学館版学習まんが 八田與一』許光輝:監修、平良隆久:まんが、みやぞえ郁雄:シナリオ)

八田與一台湾
 私にも苦い経験があります。ケンブリッジ大学で研究生活を送っていた時のことです。数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を取ったある大教授と会って、自己紹介をしました。すると、挨拶もそこそこに、その大教授はこう訊いてきました。
夏目漱石の『こころ』の中の先生の自殺と、三島由紀夫の自殺とは何か関係があるのか」
 私はもちろん、『こころ』も三島の主要な作品も読んでいましたが、こんな質問にいきなり答えられるだけの用意はありません。しかもそれを英語で説明しなければならない。武士道か何かを持ち出して、「死の美学」について乏しい知識を動員して、何とかごまかしたものですが、彼が納得したかどうか自信はありません。
(『国家の品格藤原正彦

日本近代史