シャノン情報理論によって、情報と不確実性のあいだに橋が架けられた。情報とエントロピーのあいだに、情報とカオスのあいだにも……。(『インフォメーション 情報技術の人類史ジェイムズ・グリック楡井浩一訳)
 それでも【竹下(登)氏は日本出発直前に、日頃から竹下派の政治献金の面倒見のよかった第一勧銀には、プラザ会議の議題をリーク】していた。この情報で第一勧銀はドル売り円買いの投機に精をだして、巨額の利益を得たのである。(『アメリカ殺しの超発想 「奴隷」日本よ、目を醒ませ! 制度疲労をすぐ正せ!霍見芳浩
 だが、木村は本当に乱取りだけで9時間やった。まず警視庁へ朝10時から出稽古へ行き、昼食を食べて拓大で3時間、そして夕方6時から講道館、そのあと深川の義勇軍道場、牛島塾に戻ってくるのは夜11時である。
 そして夕食をかき込むと、ウサギ跳びをしながら風呂に行き、またウサギ跳びで帰ってくる。すぐに腕立て伏せを1000回やって、そのあとバーベルを使ったウェイトトレーニング、巻き藁突きを左右1000回ずつ、さらに立木への数千本の打ち込みである。布団に入るのは午前2時過ぎ。そしてそこからまた頭のなかでイメージトレーニングが始まった。眠ってしまいそうになると自分で体をつねってその痛みで奮起しイメージトレーニングを続ける。眠るのは4時過ぎである。睡眠時間は3時間もなかった。
(『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか増田俊也
【「資金源」「資産」「費用」「収益」の4箱のうち、最も注目すべき箱は?】

 正解は「資産」です。

 決算書を読みなれた方なら、「有利子負債」や「経常利益」といった科目を真っ先に見ると思いますが、初心者はまず【「資産」の大きさ】を意識してください。

(『世界一やさしい会計の本です山田真哉

会計
 印刷の世界史を調べてみると、紀元前4000年のバビロニアの押圧印刷、西暦105年には中国で紙が作られるようになります。西暦285年になるとようやく日本に紙と墨が伝わってきます。西暦960年を過ぎるころになると木版による印刷技術も始まり一般化してきます。西暦1400年代は鋳造技術が確立しドイツを中心に銅版による彫刻や活版印刷技術などが進みます。西暦1457年になるとドイツによる三色印刷も始まります。西暦1590年、印刷機が来日します。国内で初めての本が作られたのがこの頃(ママ)です。まだまだ印刷をどのように用いていいのかわからない時代であった日本ですが、この10年後にお札がお目見えすることになります。(『偽札百科』村岡伸久)
 その一方で、欧米諸国からの皇室国際化の要請を予測していた皇室は、開国に備えて政治・外交・社会体制まで包含した大規模な国家戦略群をあらかじめ建てていた。それが「堀川(ほりかわ)政略」で、発端は天保(てんぽう)の大飢饉の前後の1830年代と推察される。室町時代依頼、永世親王として代々皇室のウラを支え國體(こくたい)を護ってきた伏見殿の19代貞敬(さだよし)親王と第一皇子・邦家(くにいえ)親王が中心となり、國體参謀衆に命じてこれを建てたというのだ。
 建武(けんむ)の新政にあたり南北朝(落合史観では海洋民族系を南朝、大陸騎馬民族系を北朝と呼ぶ)の合一を図るために建てられた極秘の「大塔(おおとう)政略」に基づき、南朝の大塔護良(もりなが)親王の息子・益仁(ますひと)親王(のち興仁〈おきひと〉親王)が北朝光厳(こうごん)上皇の第一皇子に入り崇光(すこう)天皇となったことで南北朝は実質的に統合された。崇光天皇の皇子・栄仁(よしひと)親王が初代となって始めた伏見殿が、代々大塔宮の血統を伝えることで、「万世一系の皇統」の血統バンクとなったのである。伏見殿が國體天皇となり、伏見殿から出た後花園(ごはなぞの)天皇の末裔が皇室となって代々政体天皇に就いてきたが、「堀川政略」により、皇室の国際化のため、伏見殿が海外事項に専任し、政体天皇が國體天皇になったという。その空いた政体天皇の役職を埋めるため、政体天皇には皇室外から後花園皇統以外の大塔宮の子孫を抜擢することを定めたのだ。
(『逆説の明治維新落合莞爾監修)
 2010年7月30日未明、大阪ミナミの繁華街のそばの、15平米ほどのワンルームマンションで、3歳の女の子と1歳8ヵ月の男の子が変わり果てた姿で見つかった。齊藤芽衣さんは、その二人の子どもの母親だ。
 この夏はとびきり暑かった。子どもたちはクーラーのついていない部屋の中の、堆積したゴミの真ん中で、服を脱ぎ、折り重なるように亡くなっていた。内蔵の一部は蒸発し、身体は腐敗し、一部は白骨化していた。
(『ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件』杉山春)

虐待
 QEは表向き「デフレ対策」として行われ、アメリカでも日本でも、インフレを2%にするのが目標だ。もし米FRBや日銀が、中小企業に対する銀行の貸し渋りを是正する行政指導を強めたり、国民に直接ゼロ金利で、大盤振る舞いで融資する新制度を作ったりしたら、必ず消費が増加してインフレになる。しかし、デフレ対策というQEの目標は、表向きの看板だけだ。QEの真の目標はデフレ対策でなく、債権金利の上昇を買い支えによって防ぐという金融救済だ。(『金融世界大戦 第三次大戦はすでに始まっている』田中宇)

金融
 父はよくギリシャの劇作家アイスキュロスを引用したものだった。「知る者は苦しまねばならない。眠っていても、忘れられぬ悲しみは心に滴り落ちてくる。わたしたちの絶望に、わたしたちの意志に反して、神の恐るべき恵みによって叡智がもたらされるまでは」(『ありふれた祈り』ウィリアム・ケント・クルーガー:宇佐川晶子訳)
 ヘッジファンドの雄ジョージ・ソロスは、CDSについて「他人に保険をかけ、その人間を殺すようなものだ」と評しました。(『もうこれは世界大恐慌 超インフレの時代にこう備えよ!朝倉慶
 イオウ化合物の一つ、硫化アリルはいわゆる血液をサラサラにする作用があり、血栓を予防する働きがあります。また硫化プロピルもイオウ化合物で、血糖値を正常にする働きがあります。これらの効果を十分に得るためには、生で、かつ切ったあと20分ほど老いておくとさらに効力が高まります。また、辛味も落ち着き食べやすくなります。(『糖尿病・高血圧・脂肪太り ぜんぶよくなる!タマネギBOOK』周東寛監修)

タマネギ
 19世紀後半のアメリカで、病院食として開発されたというグラノーラ。語源は一説によれば、“つぶつぶ”という意味の「グラニュール(Granule)」と“穀物”を意味する「グレイン(Grain)」から生まれた造語だといわれています。(中略)ちなみに、油や甘みを加えていないものはミューズリーといい、こちらの起源は、スイス。サナトリウムの医師が患者のために考案したものだといわれています。(『フライパンでつくる 美腸 グラノーラ』小林暁子)
 会津藩では、それに「童子訓」がいわば必修科目で、これはすべて暗誦させられた。『小学』を基礎にした金言名句、小話のたぐいを編集した冊子で、文字通りの小学読本である。
 日常の起居についての躾(しつけ)は、別にいろいろとあった。
「寒くても手を懐ろに入れるな」
「暑くても扇子を使ったり、肌脱ぎになってはなりませぬ」
「門の敷居、畳の縁(へり)を踏むな」
「来客のときは大声を出すな。奴僕はもちろん、犬猫のたぐいでも、叱るのは客に失礼である」
「人前で退屈の風を見せてはなりませぬ」など、など。
 しかし、こういうことは物心ついたころから、おのずと身について育つので、それが窮屈だとか、喧(やかま)しいとかいう感じは、誰も持たなかった。
(『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛)

柴五郎明治維新日本近代史
 弱冠22歳、青白き英国諜報部員、アーネスト・メーソン・サトウが、大胆にも「ジャパン・タイムス」で革命論をぶち上げる。サトウが論文で日本国内を煽り、グラバー五代寺島をイギリスに送って、英国政府を動かす。見事な連係プレー、英国諜報部が覚悟をもって磨き上げたシナリオである。(『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン加治将一

明治維新日本近代史フリーメイソン
 ついていた。
 ついているのはいいことだ。だが、つきは瞬時に変わる。幸運は逃げ足が速く、気まぐれで、浮気症だ。
(『暗殺者グレイマン』マーク・グリーニー:伏見威蕃訳)
 願わくば
 偉大なる精霊が 明日も
 あなたのこころに
 日の出を もたらさんことを。
(『虹の戦士北山耕平翻案)

インディアン
 恐怖が、徐々に僕の心を麻痺させて行った。僕の覗き込んでいる地階の夜の中には、呪詛と憎悪と怨恨と嫉妬とに充ち満(ママ)ちた悪の深淵が開いている。ただ僕は、それが記憶から喪われた過去の幻(ママ)象なのか、まだ生まれない未来の感情の先駆なのか、知ることが出来なかった。しかし僕は暗闇の中に明かに見ていたのだ。魔女の祭壇の大きな器に犠牲たちが一つに煮つめられるように、人間の体験し得るあらゆる悪の素材が塔の奥底に澱んでいることを。(「塔」福永武彦)『筑摩現代文学大系 75 中村真一郎・福永武彦集
 記憶力に興味を持ち始めたごく初期の頃――カーベロの真似をしていた頃――にすでに私は、トランプの順番などのように関連のない情報の羅列を憶えるためには、情報をコード化してイメージに変換することが必要だとわかっていた。イメージに変換することで、ばらばらの情報をつなげることが可能になるのである。このプロセスでは想像力を駆使する。そして、論理や空間認知をはじめとする脳の機能を幅広く使うことになる。(『記憶に自信のなかった私が世界記憶力選手権で8回優勝した最強のテクニック』ドミニク・オブライエン:梶浦真美訳)
 コンビニ客は、売れ残った弁当を値引き販売しているからといって、ワーッと集まってきたり弁当を余計に買ったりはしないものです。あくまでも、お腹がすいたから必要な分を買おうと店に入り、そこにある選択肢の中から選んで買う――つまり、値引き販売をしたからといって客数や販売数が増えるわけではないということです。値引き商品を棚に並べれば、単に【通常価格で売れたはずの分が値引き販売分に置き換わってしまう】のです。
 この、値引き販売によって売れなくなる通常販売の部分を「機会損失」といいます。
(『「値引きして売れるなら捨てるよりマシ」は本当か? 将来どちらのほうが儲かるかで考える損得学』古谷文太)

ビジネス
「その際に伏見宮家に日本の海外ネットワークを委ねる密約が交わされたが、これらの諸施策が奏功したのを観て実施されたのが、閑院宮家の創立である。
 矢野系シャーマニズムとは、地動説に立脚する数理系シャーマニズムのことである。伏見宮家の創立以来、海外情報を御進講するために、彼らが海外ネットワークを組み立てて、充実させてきた。閑院宮家の創立は、海外ネットワークを補強するための強化策で、その主力は法親王系シャーマンで構成されていた」(『南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ』落合莞爾)

日本史
 あれ以来、父は以前と変わってしまったのだ。父からは大事なもの、人好きのする活気のようなものが消えうせてしまった。(『ナイスヴィル』カーステン・ストラウド:山中朝晶訳)
 生きとし生けるものが喜々として生きるのは神の意志だろう
 しかしここに生きてはならぬ人間がいた(玉砕命令が出て生きているということは死刑である)
 やがて司令部からくる「死の使者」をまっているのだった
 責任の最も重い将校は力なく遠い海をみつめていた
(『総員玉砕せよ!』水木しげる)

戦争
 幕末の日本には、全国で47万人くらいの武士がいたらしい。しかし戦争では、特定の戦場に、相手より強力な戦力を集中できた者が勝つ。ペリー艦隊は、日本の海外の好きな場所に、300人の海兵隊を投入することができる。しかも、艦砲射撃の支援火力付きである。日本側が1500人の火縄銃隊をあつめてきたら、こんどは別な場所を襲撃すればよいのだ。有力な親藩の城下町も、多くが海岸の近くにあり、焼き討ち攻撃には弱かった。
 この機動力と火力とを、徳川政権が実力で排除するためには、台場ではなく、鉄道か軍艦かの、どちらかが必要なのであった。
(『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾兵頭二十八

戦争日本近代史
 現在の私は、もう桂離宮という権力にあやつられることはない。自分では、その勢力圏からぬけだしたと思っている。桂離宮にたいする無理解も、平気で書けるようになった。芸術的な感受性という点で、背のびをすることも、ひところよりはよほど少なくなっている。
 こうなると、かつての自分も、かなり冷静な目で見られるようになってきた。いったい、私の言動を拘束したあの権力は何だったのか。私は、どのような権力により操作されていたのか。そういうことに興味がわいてきた。
 安直なヒロイズム気分をゆるしてもらうならば、現在の私は権力から脱出してきた亡命者である。そして、この本では、亡命者の立場から祖国の内情とその歴史を書いてみたいと思っている。
(『つくられた桂離宮神話』井上章一)
 わたしにだってできる、できる、できる――
【生きることが】。
(『キャリー』スティーヴン・キング:永井淳訳)
 アドラーは、このような行動について「なぜ」と問うとき、行動の「原因」ではなくて「目的」を答えとして期待しています。人は原因によって後ろから押されて生きているのではなく、目的を設定しそれを追求する、と考えるのです。言い換えると、「どこから」ではなく「どこへ」を問うているのです。(『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために岸見一郎

心理学
「これは国際社会のルールだ」というのも、実際には米国のルールを他国に押しつけるときの常套句だし、「科学的根拠がない」というのも、牛の全頭検査や京都議定書に対して連発しましたが、要するに米国が自国に不利になる事実を認めたくないときの言い逃れにすぎません。米国人はこの種のPR会社的発想の、姑息な言葉のすり替えテクニックをよく使いますから用心しなければなりません。(関岡)『国富消尽 対米隷従の果てに』吉川元忠、関岡英之

アメリカ
 日本軍の真珠湾攻撃で、日系人の信用はうしなわれた。
 ハワイでは、日系人は10人以上、集まってはいけない、家から15マイル(約24キロメートル)以上、遠くに行ってはいけない、と命じられた。バスのなかには「英語で話せ」というはり紙が出され、日本語で話すことを禁じられた。(『夢にむかって飛べ 宇宙飛行士エリソン=オニヅカ物語毛利恒之
 雨はいい。なぜかと訊かれても返答に困るが、あらゆるものの輪郭がぼやけて、何となくやわらいだ気分になれるのだ。雨を見ていると肩の力が抜け、脈拍も落ち着く。(『猟犬』ヨルン・リーエル・ホルスト:猪股和夫訳)
 チオスルフィネートは血栓をできにくくするだけでなく、できた血栓を溶かす作用があることがわかっています。そのほか玉ねぎは血液中の善玉コレステロールを増やし、悪玉コレステロールを減少させて血液サラサラにします。(『いいことずくめの玉ねぎレシピ 中性脂肪、血圧、血糖値、ぜんぶにいい!石原結實監修)

タマネギ血糖値
 アメリカの捕鯨業は、日本のように鯨(くじら)を食べるためではなく、油を取るためだった。アメリカはイギリスを追って機械工業の時代に入っており、どうしても夜間照明用の油が必要だった。技術革新によって蒸気船が発明され、加えてパナマに鉄道が開通し、太平洋がきわめて近い存在になった。カリフォルニアと中国のあいだに航路が開設され、捕鯨船を含めて日本列島周辺での遭難も増え、石炭を確保する上でも日本の港が必要だった。(『偽りの幕末動乱星亮一

日本近代史
正慶孝●本当に数理科学のエッセンスを身につけた人は、数字を使わないでも文脈ですべてを表現できます。現代は文脈を読む力がとても衰えていて、言葉の味わいや意味を読めない時代になりました。実にさびしいことだと思います。

藤原●書いてあることを読む力が衰えた上に、行間を読める人が少なくなっているし、何が書いてないかを読みぬく人は皆無です。読書の楽しみは何が書いてないかを読むことであり、筆者の頭の中を読むのが読書の真髄ですよ。

(『賢く生きる 藤原肇対談集藤原肇
 令状が来れば、たとえ東京に暮らしていても、戸籍の本籍地にある軍隊への入隊が決められていました。定められた日時を遵守(じゅんしゅ)しないなど、軍隊では許されることではありません。召集を受けた生徒はクラスメートに挨拶する時間などなく、ある日突然消えていきました。(『知覧からの手紙』水口文乃)

戦争特攻隊日本近代史
 とめさんは、不作法を詫(わ)びながら畳の上に痛む足を投げだし、あのころの隊員たちの表情を、一つひとつなぞるように話してくれた。
「僕が死んだら、きっと蛍(ほたる)になって帰ってくるよ」
 そう言って出撃した宮川軍曹が、翌晩、1匹の“蛍”に化(な)って飛んできたというのは、この左手の庭の泉水のほとりであった。第7次総攻撃に進発した朝鮮出身の光山少尉が、出発の前夜、とめさんにねだられて低い声でアリランの歌を唄ったのは、次の間の柱のところであった。光山少尉はその柱にもたれ、軍帽をずりさげて顔をかくしょうにして唄っていたという。
「僕の生命(いのち)の残りをあげるから、おばさんはその分、長生きしてください」
 そう言って、うまそうに親子丼を食べて出撃していった一人の少年飛行兵のことを語ると、とめさんは、あの子のおかげで私(あた)ゃこんなにも長生きしてしもうた、と涙をにじませた。
(『今日われ生きてあり』神坂次郎)

戦争特攻隊日本近代史
 マッカーサーが“元帥”の称号を望んだのは、「私は大山黒木乃木東郷など日本軍の偉大な司令官たち、あの鉄のように強靭な性格と不動の信念をもった、表情のきびしい、近づき難い男たちに、ぜんぶ会った。……永久に消えることのない感銘を受けた」(『回想記』上)と尊敬していたことから、フィンランドで「東郷ビール」になっていたほどの国際的なスターだった東郷元帥にあやかって、「元帥」と名乗るようになったようです。
 マッカーサーはこのような思い入れのある日本で、フィリピンで日本軍に敗走、オーストラリアへ遁走したことが報じられ、ヨーロッパでも、ヒトラーからは「逃走将軍」と侮(あなど)られ、ムッソリーニからも「卑怯者」と罵(ののし)られていたのです。
 それらの汚名を一気に晴らす一世一代の大舞台が厚木飛行場だったのです。
(『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』水間政憲)

GHQ日本近代史
 日本政府の暗号は、1941(昭和16)年12月7日の真珠湾攻撃の1ヵ月程前ほぼ完全に破られていた。FBIが夜中、日本大使館に侵入し、暗号表を写し取ったと伝えられている。(『國破れてマッカーサー西鋭夫

片岡鉄哉日本近代史マッカーサー
 私は「自殺は他殺である」ということを、もっと広く世間に訴えていく必要があると考える。特にいじめの場合は、いじめっ子が遊び感覚で弱い者を攻撃し、挙句の果てに死に追いやっているわけで、法的にはともかく、道義上は許されない行為として処理されることを啓蒙していくべきであろう。
 いじめて遊んでいるお前らこそ、卑屈で卑怯で、恥ずべき最低の人間である。弱者を助ける者が格好よい立派な人間である。こうした強いメッセージを社会に打ち出すことが、子どもを守るために必要なのではないだろうか。
(『自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言上野正彦

自殺
 少年だから犯罪は許されるのでしょうか。少年が犯人だとわかったら、淳は生きて返るのでしょうか。
 少年の人権、犯罪者の人権擁護をいうあまり、本当に守らなければならない真の「人権」というものを社会全体が見失っているのではないでしょうか。
 最初に社会全体で守っていかなければならないのは誰なのでしょうか。
 それは普通に、そして平穏に暮らしている一般の人々のはずです。
 それは人を疑うことの知らなかった淳であり、そして、他人に迷惑をかけずにその日、一日一日を一生懸命、生きている人々すべてだと私は思います。
 その一番大事な基本を見失えば、社会全体が歪んでしまうのではないでしょうか。
(『』土師守)

事件
少尉 第七七振武隊 昭和20年5月4日出撃戦死 宮城県 一八歳 相花信夫

【遺書】
【母を慕いて】
 母上お元気ですか
 永い間本当に有難うございました
 我六歳の時より育て下されし母
 継母とは言え世の此の種の女にある如き
 不祥事は一度たりとてなく
 慈しみ育て下されし母
 有難い母 尊い母

 俺は幸福だった
 遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
 幾度か思い切って呼ばんとしたが
 何と意思薄弱な俺だったろう
 母上お許し下さい
 さぞ淋しかったことでしょう
 今こそ大声で呼ばして頂きます
 お母さん お母さん お母さんと
(注:ノート2頁に楷書でペン書き)

(『新編 知覧特別攻撃隊』高岡修編)

戦争特攻隊日本近代史
 これまで話してきたことは、私たちが脳をだましたり、脳にだまされたりした結果だと思うのです。
 ところが腸は脳のように、だましたり、だまされたり、勘違いなどはしません。なぜなのでしょうか。
 それは腸と脳の発生の歴史が違うからでしょう。脳ができたのは生物にとってずいぶん最近の話なのです。地球上で最初に生物が生まれたのは約40億年前でした。生物にははじめに腸ができ、脳を獲得したのは現在から5億年くらい前のことです。つまり生物の歴史上、8~9割の期間は生物は脳を持っていなかったのです。
 したがって、私たち人類は腸をうまく使っていますが、歴史の浅い脳をうまく使いこなせていないのです。脳は人間の身体にはまだ馴染んでいないということです。
(『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎)
 余幼くして煩瑣(はんさ)なる政情を知らず、太平三百年の夢破れて初めて世事の難(かた)きを知る。男子にとりて回天の世に生まるること甲斐あることなれど、ああ自刃して果てたる祖母、母、姉妹の犠牲、何をもってか償わん。また城下にありし百姓、町人、何の科(とが)なきにかかわらず家を焼かれ、財を奪われ、強殺強姦の憂目をみたること、痛恨の極みなり。(『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書石光真人編著)

柴五郎明治維新日本近代史
 いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、むなしく年を過して齢(よわい)すでに八十路(やそじ)を越えたり。
 多摩河畔の草舎に隠棲すること久しく、巷間に出づることまれなり。粗衣老軀を包むににたり、草木余生を養うにあまる。ありがたきことなれど、故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず、老残の身の迷いならんと自ら叱咤(しった)すれど、懊悩(おうのう)流涕(りゅうてい)やむことなし。
 父母兄弟姉妹ことごとく地下にありて、余ひとりこの世に残され、語れども答えず、嘆きても慰むるものなし。四季の風月雪花常のごとく訪れ、多摩の流水樹間に輝きて絶えることなきも、非業の最期を遂げられたる祖母、母、姉妹の面影まぶたに浮びて余を招くがごとく、懐かしむがごとく、また老衰孤独の余を憐れむがごとし。
 時移りて薩長の狼藉者も、いまは苔むす墓石のもとに眠りてすでに久し。恨みても甲斐なき繰言(くりごと)なれど、ああ、いまは恨むにあらず、怒るにあらず、ただ口惜しきことかぎりなく、心を悟道に託すること能わざるなり。
(『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書石光真人編著)

柴五郎明治維新日本近代史