モリソンは何もかも正確に書いた。自分の兵位が籠城者中、最も上位であるとの理由で籠城軍総指揮権を獲得したオーストリアのトーマンがへまをしたため、マクドナルドが彼にとって代わったこと、その後、トーマンが戦死しオーストリア兵の士気が著しく低下したこと、東京とベルリンで高度の医学を修得した日本の中川十全軍医が身の危険をもかえりみず負傷者につくしたこと、勇敢な安藤大尉が大砲分捕り事件で激烈な最期をとげたこと、みなに敬愛されていた楢原書記官が戦死したこと、ストラウツ大尉の戦死、有能なアメリカ書記官スクワイアーズのこと、臆病者のピション仏公使のこと、そしてもちろん、柴中佐とその部下たちの武勇と軍紀の正しさ、柴の密使のこと、籠城がもちこたえられたのは、ひとえに日本軍のお蔭であることなど、すべて書きに書いた。いや、書かなかったことが一つある。それはモリソン自身の活躍ぶりと、それによる名誉の負傷のことである。(『日露戦争を演出した男 モリソン』ウッドハウス暎子)

柴五郎