当時の日本の官僚作文の中に「自存自衛」という苦しい造語が出てきます。1941年7月2日(つまり独ソ戦が始まって間もないとき)に、第二次近衛内閣が御前会議で決めた「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」にもそれは見えますし、12月8日の開戦詔勅の中にも登場してくるでしょう。文脈上、そのどれもが、英訳すれば Security とはなり得ても Self-defence にはなりません。パリ不戦条約が禁止していない戦争は、セルフディフェンスだけです。(『予言 日支宗教戦争 自衛という倫理兵頭二十八

老子