ただ、左右いずれであれ、実証的な研究を顧(かえり)みず、みずからの思い込みにもとづいて煽動(せんどう)的な議論を重ねる人々とは、対話と議論が成り立たない。その意味で、「慰安婦」問題について実証的基礎もないまま元「慰安婦」を売女呼ばわりする「論客」は、まともな議論の対象にならない。本書で「慰安婦=公娼」論への言及と反論がすくないのは、それをよしとしているからではなく、およそ学問的論議の対象にならないと考えているためである。(『「慰安婦」問題とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』大沼保昭)