それは異様な、一種幻妙な静寂、人間がおよそまれにしか味わうことのないあの無言の悟入であった。ヴェールがあがって、ふたたびおりる。人はなにをかいま見たのか思いだすことはできないが、なにかを見たことを、二度とおなじものはあらわれないことを知っている。それはめったに、ほんとにめったにあるものではない。それは絶妙なたぐいない日没の一瞬、偉大なシンフォニーの一断片、大闘牛士の剣があやまたず突き刺されたとき、マドリードとバルセロナの巨大なリングをつつむ恐ろしい静寂。スペイン人は、それをたくみによぶ――〈真実の瞬間〉と。(『女王陛下のユリシーズ号』アリステア・マクリーン:村上博基訳)