(1948年度)3位の【岩波雄二郎】(1919~2007)は当時の出版社の代表格である岩波書店の店主である。岩波書店は、1913年に雄二郎の父・岩波茂雄(1881~1946)が東京都神田神保町に古本屋として開業したもので、翌1914年に夏目漱石の知遇を得て『こゝろ』を出版、古書店から出版社に転じた。
 1927年に岩波文庫、1938年に岩波新書を刊行し、古典の普及と学術書の出版に注力し、「岩波文化」を形成した。
(『日本の長者番付 戦後億万長者の盛衰』菊地浩之)
 ナチス・ドイツでは、労働者の環境が整えられ、医療、厚生、娯楽などは、当時の先進国の水準をはるかに超えていた。
 国民には定期的にがん検診が行なわれ、一定規模の企業には、医者の常駐が義務づけられた。禁煙運動や、メタボリック対策、有害食品の制限などもすでに始められていた。
 労働者は、休日には観劇や乗馬などを楽しむことができた。また毎月わずかな積み立てをしていれば、バカンスには豪華客船で海外旅行をすることもできた。
 思想的な是非はともかく、経済政策面だけに焦点を当てた場合、ヒトラーは類(たぐい)まれなる手腕の持ち主ということになるだろう。
(『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘)

世界恐慌
「お父さんみたいにならないで」。母はいつも言う。
 不思議です。あなたは女、父にはなれません。なるとすれば母親でしょう。
「お母さんのようになっちゃダメよ」。こう言うべきです。
 なぜ母は「私のような母親になるな」と言えないのか? ここがポイントです。「私のような母親」とはどんな母親でしょう。答えは簡単ですね。
 自分に無関心・無頓着な夫と結婚し、離婚もできず、思いつく限りの愚痴を幼い頃から言い聞かせ、やがて娘が「父など死ねばいい」と思いこみ休日に泣いて過ごすように仕向ける母。それが「私のような母」です。

(『オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より岡田斗司夫
 ところで、A型、B型と続いてC型がないのはなぜでしょうか。
 それは発見時の順番で決められたからです。血液が凝集した順番にA型、B型と名づけ、凝集の起こらなかったものを0(ゼロ)型としました。いつしかその0(ゼロ)がO(オー)に転じて、「ABO式血液型」と呼ばれるようになったのです。
(『血液型の科学 かかる病気、かかならない病気藤田紘一郎
 よく道具というと手足の延長であると言われますが、実を言えば手足もまた道具なのです。その人の生理あるいは心理というものにぴったり密着して機能的に動いている道具なのです。道具というものは決して単なる物質、物ではない。すなわち物ではあっても、必ず主体である私たちの精神とか心とかいうものの癖を受けているものなのです。いかなる物も必ず私たちの心がそこにしのび込んでいる。万年筆の例でもおわかりのように、物というのものは必ずそれを使う人の手癖になじんでいる。あらゆる物がその人の生き方を内に含んでいるのです。だから物といって軽蔑するのは間違いなので、道具にしろ物にしろ、それはすべて心を離れては存在しない。心そのものである。あるいは心と物とが、物質と精神とが出会う場所である。道具というものはこのように考えるべきだと思います。
 そういう前提で考えて見れば、言語道具説というのは決して悪いことではない。
(『人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義福田恆存〈ふくだ・つねあり〉、国民文化研究会編)
 ヨーロッパでは、キリスト教徒の教会離れが進み、代わりに、イスラム教が台頭している。「ヨーロッパのイスラム化」は、決して架空の話ではなく、次第に現実味を帯びている。
 アメリカに、ピュー・リサーチ・センターという調査機関があり、人口の将来予測などを行っている。この機関は2050年における世界の宗教人口についても予測している。
 それによれば、イスラム教徒の人口は27億6000万人に達し、世界全体の29.7パーセントを占めるという。2010年の時点では、16億人で23.2パーセントだった。
(『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する島田裕巳

宗教
 そのため二重スリット実験では、発生源から後ろのスクリーンのところまでやってくるのは1個1個の原子ではなく、波動関数が伝わってくるのだと考えなければならない。波動関数はスリットのところに来ると二つに分かれ、そのそれぞれが一方ずつのスリットを通過する。このとき考えるべきは、「抽象的で【数学的】な量がどのように時間変化する」かであることに注意してほしい。【実際には】何が伝わっているのか、と質問するのは的外れだ。それを確かめるためには観察しなければならないが、観察しようとするとただちに結果が変わってしまう。観察と観察のあいだに【実際に】何が起きているのかを問うのは、冷蔵庫の扉を開ける前になかのライトが点いているかどうかと質問するようなものだ。ちら見した瞬間に変化してしまうので、けっして知ることはできないのだ。(『量子力学で生命の謎を解く 量子生物学への招待』ジム・アル=カリーリ、ジョンジョー・マクファデン:水谷淳訳)

量子力学
 アダム・スミス以降の経済学者たちは、物々交換は貨幣より先に生まれていたと想定してきたが、貨幣の誕生以前に物々交換経済が広く存在していた証拠は、実証的にも考古学的にもその他の形でも、存在していない。実際、貨幣以前の経済は主として信用――今引き渡される価値と引き換えに将来価値を返すという約束――に支えられていたようだ。(『ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!ジェームズ・リカーズ:藤井清美訳)

ドル通貨
 自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室のバルコニーに立つ三島の姿を目撃したという、当時16歳だった女性がいる。
 その日、彼女は偶然、市ヶ谷にいたのだ。ロックグループ「はっぴいえんど」が所属していた事務所、「風都市」に、その日、彼女は遊びに来ていた。(中略)
《あのときのことはすごく鮮烈に覚えている。》
 そして、
《あのとき、60年代末のムーヴメントが終わった。「これで時代が変わるなあ」って思ったことを覚えてる。あれと、あさま山荘事件(72年)でね。「時代は変わる。じゃあ、作詞家になるかな」って。》
 この16歳の少女は、前年に15歳で作詞家としてデビューしており、翌年には作曲家としてもデビューする。そして、この少女がシンガーソングライターとしてデビューするのは1972年だ。荒井由実、という。
(『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介)

三島由紀夫
「要するにはっきりしたことは分からないので、ただ近世の百姓一揆の中で、この生瀬乱ほど残酷な処分をうけた例はほとんどないことを注意したい。当時小生瀬の人口がどれほどあったか知らないが現在1882人(40年3月31日)であるから、その4分の1としても500人に近い数であったろう。それが代官手代一人を殺したといってみなごろしにされたので、戦国の余燼(よじん)の消えないころであるにしても無惨な話である。今の住民は御代家をのぞいてはみな新しいので、私の家などもその中であるが、封建社会というものの暗さを表示する大きな一例といえる」(『覚書 幕末の水戸藩山川菊栄

神無き月十番目の夜
 実際、生産方式、製品、マーケットの新たな開発をめぐる競争こそが、資本主義的企業の競争のもっとも重要な点である。経済学者のシュンペーターは、こうした新たな技術やマーケットの開拓に企業家活動の本質を見、それを「新機軸」あるいは「創造的破壊」という言葉で呼んだ。(『「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理佐伯啓思
(孝明)天皇崩御の原因については諸説ある。毒殺説はイギリス側の記録にもあり、会津側の口碑(こうひ)にも伝わり、演出者は岩倉具視(いわくらともみ)、茶として毒をすすめたのは女官名古屋局(ふるやのつぼね/長州藩士の娘)で、行方(ゆくえ)知れずになったという。
 作家南条範夫氏の説について――氏の祖父はオランダ医学を学んだ外科医で、京都に住み、御殿医(ごてんい/天皇の治療に携わる医師)でもあったという。その祖父のもとに夜半御所からお使いが来て、すぐ参上してみると、天皇が血に染まって奥の間に寝かされている。検診申し上げると、股から脇腹へかけて上に向かって槍が突きささった跡がある。御病気ではあったが、亡くなられたのは、その槍のための出血多量の故(ゆえ)であった。
 夜半お手洗に行かれ、厠(かわや)の側に大きな水盤(すいばん)があり、侍女(じじょ)が助けて雨戸を開け、天皇がお手をお出しになる。女官が水をおかけする。その時に縁の下から曲者(くせもの)が短槍を突き上げたという。
(『幕末最大の激戦 会津戦争のすべて』会津史談会編)

会津
 ですから、もし「無菌人間」がいたら、たちまちウイルスや細菌に感染して命が危険にさらされるでしょう。そして実際、生まれる前の胎児は無菌状態です。そのまま生まれるわけにはいきません。
 そこで私たち人間は、この世に出てくる直前、産道を通るときに母親から体内の細菌をもらい受けます。自然分娩の場合、赤ん坊が産道で飲み込んだ母親の細菌は、24時間以内に1000億個以上にまで増えるといわれます。これのおかげで、私たちは生まれてすぐに抵抗力を身につけることができるのです。
(『大便通 知っているようで知らない大腸・便・腸内細菌』辨野義己)
 白い点は、浸水ラインの白い線の付近に集中して並んでいる。
神社は、浸水線のギリギリで助かっていたんです」
「じっさいに津波がどこまで来たのかを確認しようと、浸水線、つまり波の押し寄せた跡を歩いて辿(たど)っていくんです。するとなぜか神社があらわれるんです。
 ひとつ過ぎてしばらく行くと、別の神社に出くわす。その繰り返しでした。
 すぐそばまで津波が押し寄せたのに、神社はあやうく助かっている。そういう場所がとにかく多い。不思議でなりません」
(『神社は警告する 古代から伝わる津波のメッセージ』高世仁、吉田和史、熊谷航)

災害
 当時の日本の官僚作文の中に「自存自衛」という苦しい造語が出てきます。1941年7月2日(つまり独ソ戦が始まって間もないとき)に、第二次近衛内閣が御前会議で決めた「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」にもそれは見えますし、12月8日の開戦詔勅の中にも登場してくるでしょう。文脈上、そのどれもが、英訳すれば Security とはなり得ても Self-defence にはなりません。パリ不戦条約が禁止していない戦争は、セルフディフェンスだけです。(『予言 日支宗教戦争 自衛という倫理兵頭二十八

老子
 そのような状況で若者、特に全共闘の学生にも人気のあった作家の倉橋由美子さんが、『朝日新聞』のインタビュー記事の中で、「男だったら何をしていますか?」という質問に対して、「男の子だったら、三島さんにお願いして『楯の会』に入れてもらいます」と答えていました。新聞を読んだ私は、初めて「楯の会」に対する理解者を見つけたように感じました。(『果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの』井上豊夫)

三島由紀夫
「第8番目の、ルーズベルトが犯した巨大な誤りは、1941年7月、つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となったその1ヶ月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。その経済制裁は、弾こそ射って射(ママ)なかったが本質的には戦争であった」(抄訳)『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』加瀬英明、藤井厳喜、稲村公望、茂木弘道

日本近代史
 車で走っているとわからないのですが、少し高台にのぼると、
「ああ、米軍はあの海岸から1945年に上陸してきて、そのままそこに居すわったんだな」
 ということが非常によくわかります。
【つまり「占領軍」が「在日米軍」と看板をかけかえただけで、1945年からずっと同じ形で同じ場所にいるわけです】。本土は1952年の講和条約、沖縄は1972年の本土復帰によって主権を回復したことになっていますが、実際は軍事的な占領状態が継続したということです。
(『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治)
 父は、事あるごとに「前後、左右、上下に注意しろ」と繰り返していました。外に出れば、危険はどこから来るか分からない。まさに「常在戦場」です。上から何が落ちてくるか分からないというのは、パイロットらしい立体的なものの考え方ではないでしょうか。
 歩いていて角を曲がる時でさえ、「内側を曲がらずに、大きく外回りをしろ」というのです。死角には、どんな危険が潜んでいるか分からないからです。そして、ひったくりや暴漢から身を守るために、爪でさえ武器になるのだから、伸ばしておけとも言われました。
 身の回りの道具一つをとってみても、そうでした。
 父の口癖は、「撃てないピストルはただの鉄くずだ。いつでも撃てるようにしておけ」。よく使う道具は、いつでもすぐに手に取れるように一つの箱にまとめ、手近な場所に置き、常に手入れを欠かしませんでした。それどころか、さらに使いやすくするため加工さえする徹底ぶりでした。
(『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子)

坂井三郎
天才」とは、以下の3つの能力を兼ね備えた人です。

1)発想力
2)表現力
3)論理力

 このそれぞれに関して高い能力を持ち、それが強い主体性によって1つの人格の中にまとまっている状態。
 これを「天才」と言います。

(『あなたを天才にするスマートノート岡田斗司夫

奥野宣之
「ぼくはそうやすやすと敵の手には乗りません。敵というのは、政府であり、自民党であり、戦後体制の全部ですよ。社会党も共産党も含まれています。ぼくにとっては、共産党と自民党は同じものですからね。まったく同じものです。どちらも偽善の象徴ですから。ぼくは、この連中の手にはぜったい乗りません。いまに見ていてください。ぼくがどういうことをやるか(大笑)」(小学館版『群像 日本の作家 三島由紀夫』)『三島由紀夫が死んだ日 あの日何が終わり 何が始まったのか』中条省平

三島由紀夫
 少なくとも私が教わった福音派キリスト教の根底にあるのは、聖書の言葉一つ一つが神の霊の導きのもとに真実を伝えるために書かれた、文字通りに読んで間違いのないものであると無条件に信じることだった。ところがそう信じることは、どう見ても反駁の余地のないほど間違っており、聖書は数千年の間に大勢の人々によって書かれた文書であれば当然予想されるような、おびただしい明らかな間違いや矛盾が山のようにあることに突然気づいた私は、面食らい、精神的な拠りどころを見失ってしまったような気持ちになった。その結果、こういう経験をした多くの人びとがそうであったように、私は騙されて高価な偽文書を買わされたような気分になって腹が立ち、キリスト教信仰を捨てた。(『イエス・キリストは実在したのか?』レザー・アスラン:白須英子訳)
 児玉はこの壮行会(※モスクワに赴く河野一郎農林大臣を送り出すパーティ。1956年9月31日)に出席した親分たちを中心とする「やくざ軍団」を、日米安保保障条約改定と、アメリカ大統領アイゼンハワー訪日に反対するデモ隊の鎮圧に動員しようとした。このとき、岸総理は自衛隊の出動も断られ、警視庁にも匙を投げられていた。公権力が動けないなかで、岸が唯一頼りとしたのは、児玉率いる「やくざ軍団」だった。(『児玉誉士夫 巨魁の昭和史有馬哲夫

児玉誉士夫
 あなたがものごとをどう見るか、そしてそれにどう反応するかによって、実際に起きることが変化する。
 それが、心理学が解き明かしたシンプルな事実。しばしば見落とされがちだが、強力な事実だ。あなたの行動のスタイル、ものごとのとらえ方、そして生きる姿勢こそが、あなたの世界を色づけ、あなたの健康や富を、そして幸福全般を規定する。世界を色づけ、起きることを左右するこうした心の状態を、わたしは「アフェクティブ・マインドセット(心の姿勢)」と名づけている。
(『脳科学は人格を変えられるか?』エレーヌ・フォックス:森内薫訳)
 嘉永6年6月9日、いよいよペリーが久里浜に上陸するというので、アメリカ軍艦は砲門を開いて祝砲を放ちました。その殷々轟々(いんいんごうごう)たる響に驚いて、久里浜の漁民はすわ戦争だと仰天し、夜具包や仏壇などを背負い出して、山手の方に逃げまどっております。(『米英東亜侵略史』)『日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く佐藤優

日本近代史
 食べものが健康や病気に与える影響を誇大に評価したり信奉することを「フードファディズム:food faddism」といいます。もちろん、食と健康は深く関連しますが、それを過大評価することです。ただし、どこまでは適正で、どれ以上が過大なのかを判断することもむずかしいですし、過小評価もまた問題です。(『「食べもの神話」の落とし穴 巷にはびこるフードファディズム』高橋久仁子)
 正常人でも、白米や白いパンなど精製された炭水化物を1人前食べると、食後血糖値は60~70も上昇することがあります。私はこれを【「ブドウ糖ミニスパイク」】と名づけました。糖尿病患者におけるブドウ糖スパイクほど大きな変動はないものの、人体に少なからず害を与えている可能性が高いからです。【むしろ私は、このミニスパイクこそが、肥満やメタボ、そして生活習慣病の元凶と考えています】。(『主食をやめると健康になる 糖質制限食で体質が変わる!』江部康二)

健康糖質制限
 以上の二つの論説を通読すれば、当初アメリカのジャーナリズムが、日本の降伏を【有条件降伏】と理解し、連合軍の日本占領を【保障占領】と理解していたことは、あまりにも明瞭といわなければならない。
 彼らは、日本全土が「聯合軍の侵攻を受けてをら」ず、日本軍が「完全に敗北してゐない」ことをよく知っていた。換言すれば、ポツダム宣言受諾から降伏文書調印までの半月余りのあいだ、この点についてのジャーナリズムのあいだにはほぼ共通の理解が存在していたのである。
(『忘れたことと忘れさせられたこと江藤淳

日本近代史