大宝律令のころは「日本」と書いて「やまと」とか「ひのもと」と読んでいましたが、奈良時代になると漢字の知識が広がり、訓ではなく音読みするようになりました。「にほむ」と発音していたようです。
 これが時代が下って、室町時代になると、東国の発音で読まれるようになり、「にほん」あるいは「にっぽん」となったのです。
(『つい誰かに話したくなる雑学の本』日本社)
 この超巨大地震では、三陸沖から茨城沖にかけての日本海溝沿いで、およそ500km×200kmの領域が平均10~20mもずれました。政府・地震調査委員会の長期評価では、このような巨大地震は想定されていませんでした。しかし、ボーリングなどによる津波堆積(たいせき)物の調査から、仙台平野や福島のかなり内陸まで、複数回の津波が到達した痕跡が1990年にはすでに明らかになっていました。したがって、地震後に言われた「想定外」というこでは、けっしてなかったのです。(『地震前兆現象を科学する 』織原義明、長尾年恭)
 とにもかくにも、謝罪外交は屈辱の極(きわ)みでした。若干(じゃっかん)の例を挙げてみましょう。古くは、「日韓併合は韓国側にもいくらかの責任がある」と発言した藤尾正行〈ふじお・まさゆき〉文部大臣は、ただちに罷免(ひめん)されました。奥野誠亮〈おくの・せいすけ〉国土庁長官は、国会で「日本に侵略の意図はなかった」と答弁したため、辞任に追い込まれました。最近では、「南京大虐殺はでっちあげ」と、事実を事実のとおりに表明した永野茂門〈ながの・しげと〉法務大臣が職を辞するに至りました。
 念を押して申しますが、これらの発言には、客観的な歴史認識として、いささかの間違いもないのです。すべて正当は観察であり、訂正の必要はありません。にもかかわらず、新聞とテレビは、向こう側の言い分だけがもっともであると肩を持ちました。
 そのため政府は慌(あわ)てふためいて大臣の首を差し出し、相手側のご機嫌を伺って膝を屈め、身を屈し、両手を突いて平伏しました。
 現在、こういう状況にあるわが国は、果たして真正(しんせい)の独立国家と言えるでしょうか。他国の言いなりになる国は、真っ当な独立国家ではなく、従属国家と規定されなければなりません。この卑屈な上目遣いのご機嫌伺いは恥辱の極みです。
(『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉)
菅●実際スチールバイクは完成車でほぼ9kg台。ハイエンドカーボンバイクより2kg以上重い。それでも走りの軽さがありますよね。
雷太●全体での粘りとかしなりが軽さを出すのだと思う。ペダリングのリズムに合ったときの伸びだね。
(『クロモリロードバイクの本』ライダースクラブ編集部編)
「使えるカラダ」「美しいカラダ」を育むためには、骨格を正しく組み上げたカラダが、まずは求められます。
 では、「軸」、つまりは骨組みの形成が整っていない状態でウェイトトレーニングを行い、筋力ばかりをアップさせるとどうなるでしょうか。軸ができていないと、その筋力を骨格で支え切れずに、自分のカラダを壊すことになってしまいます。これが、スポーツ障害の正体なんです。
(『体脂肪を燃やす体幹トレーニングで究極のカラダを手に入れる』廣戸聡一〈ひろと・そういち〉指導)

体幹
 大塩平八郎が蜂起前に蔵書を売り払い、窮民に金一朱ずつの施(ほどこ)しを行ったことは、江戸でもよく知られていた。
「大塩が あまたの本を 売り払い これぞまことの 無ほんなりけり」
「ちょっと出て 颯(さ)っと引きたる 大塩が またも来るやと 跡部騒動」
 橋本町の願人坊主が一文(もん)で売って歩く木版刷りの紙札(かみふだ)にも、大塩平八郎の反乱に関する落首(らくしゅ)が度々載せられた。大塩平八郎の人気は、日々困窮する江戸市中でも高まる一方で、平八郎を題材にした落首や替え唄の刷り物は格別によく売れた。
(『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉)
 なぜ真ん中を読むか。時間が足りずに雑に作って出している本は、真ん中あたりに誤植が多い。
 それから、自分が知っている分野の固有名詞がでたらめな場合もダメ。そんな本を出している出版社は、いい加減な本を作る傾向があるから、警戒した方がいいでしょう。
(『「知的野蛮人」になるための本棚佐藤優
 キリシタンに対する火あぶりの刑は、1本の太柱に手足を後ろで縛りつけ、周囲に薪を積んで、初めは遠火にてあぶり、次第に薪を受刑者の縛られている柱へ寄せていく。後ろ手で両足に縛りつけた藁縄(わらなわ)は1本だけで、それも緩(ゆる)く、背後には薪を積まず、いつでも逃げ出せるように退路を確保してある。燃えさかる灼熱(しゃくねつ)の苦痛に逃げ出せば、それは棄教したことと見なされ、そこで刑の執行は取りやめられる。刑を受ける者にとっては何より殉教への意志が試されることとなっていた。(『出星前夜飯嶋和一
「人々は至るところで、自分のナイフとフォークを使って無意識のうちに食卓で自殺行為を行なっている。このようにしてほとんどの人は、不適切な食生活によってもたらされる病気で死んでいくのだ」セネカ(『フィット・フォー・ライフ 健康長寿には「不滅の原則」があった!』ハーヴィー・ダイアモンド、マリリン・ダイアモンド:松田麻美子訳)
 死というものは、生のひとつの形なのだ。この宇宙に死はひとつもない。(『にぎやかな天地』宮本輝)
 シゼンのなかにジネンをみなくなったとき、そして自分たちの帰りたい「祈り」の世界をみなくなったとき、自然と人間の関係は変容した。この変容が、人間がキツネにだまされない時代をつくりだしたのではないかというのが、6番目の節である。(『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節〈うちやま・たかし〉)
 たとえば、ものがないことを表す記号である0を考えてみよう。ゼロの概念の一部は、紀元前300年頃にバビロニアで誕生した。完全な形になったのは、それから1000年後、インドでその概念と無を表す記号とが結びつけられたときだった。さらに400年経ち、この記号はヨーロッパに伝わったが、はじめのうちは危険な概念として遠ざけられていた。17世紀になると広く受け入れられ、現在では、使われているあらゆる数を定義する上で欠かせなくなっている。(『「無」の科学』ジェレミー・ウェッブ:水谷淳訳)
 今日になってみれば、プラトンのいうことは大まちがいである。アリストテレスが正しく指摘しているように、われわれの左右両腕は、生まれつき同じでは【ない】のである。大多数の人が右利きだというのは、人類の遺伝的傾向であって、信頼するに足る歴史によるかぎり、昔からそうなのである。左利きのほうが普通だという社会は、文化人類学者にもまだ知られていない。少数の部族についてさえ、そのようなことは知られていない。エスキモーにしても、アメリカ・インディアンにしても、マオリ人にしても、アフリカ人にしても、みな右利きである。(『自然界における左と右』マーティン・ガードナー:坪井忠二、小島弘、藤井昭彦訳)
 要するに、ひとことでいえば、それらの人々が「信じる」ため、「皆殺しにする」ために行ったことを、理解しようと試みたのである。(『ナチスの知識人部隊』クリスティアン・アングラオ:吉田春美訳)

ナチス
 私としては、しかし、この映画がベトナム戦争の現象論的描写には成功しても、その思想的核心に迫ることに失敗した根本的な理由は別にあり、しかも、その理由もまた、コンラッドの『闇の奥』から必然的に移ってきたウイルスに『地獄の黙示録』が冒されたからだと考える。(『『闇の奥』の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷藤永茂
 日本では、コメは神事で使われることが多い。コメにはイネの霊が籠(こ)められたものという意味で特別なときに「コメ」と呼ばれるようになったと民俗学者は分析する。「コモル」という言葉は古くは神聖で、籠もることは生命の再生の準備段階という大切な意味があったという。朝鮮語の酒の醸造はコメン(コム)、朝鮮祖先神の熊はコム、高麗をコマ、日本での醸造は「醸(かも)す(カモス)」、お供え物は「供米(クマ)」、そして神(カミ)も同系統の言葉との説がある。中世以後の日本でコメと呼ばれるのは、朝鮮半島から稲作と酒文化が流入したことに関係する可能性がある。(『おいしい穀物の科学 コメ、ムギ、トウモロコシからソバ、雑穀まで』井上直人)

雑穀
「(父親の葬儀で)香典はいくら戴いたか」と嵩(たかし/実弟)に聞かれたので「先生から100万円も戴いた。嵩からもよくお礼を申し上げてくれないか」といいますと、嵩はしばらく黙り込んでいました。その顔には、無知な私に対する哀れみとも同情とも取れる表情が浮かんでいました(中略)
 それから十余年の歳月が流れ、弟が池田の数々の謗法と反社会的体質を告発すべく立ち上がった頃、ようやくあの時の複雑な表情の意味を、私に説明してくれました。香典の額は、弟が把握しているだけでも、7000~8000万円にもなるとのことでした。
(『池田大作と原島家 池田大作を会長にした原島宏治とその家族』原島昭)

創価学会
 古代語の言葉で「イ」は生きる、勢い、稲妻といって生命エネルギーの勢いを表す言葉。
「ネ」は根っこ、根源を表す言葉、「イ」と「ネ」をつなげた「イネ」は命の根源、生きるエネルギーの根源という意味になる。
「イネ」は米だけでなく穀物を含めて畑に実る穀物の姿を表す言葉だった。
(『雑穀の書 毎日がおいしい、きもちいい 雑穀のすべてがわかる』大谷ゆみこ)

雑穀
そばの実ごはんの炊き方

 米に対して2~3割くらいのそばの実を加えて炊くと、そばの風味がついたごはんができます。そのままはもちろん、とろろをかけたり、雑炊や汁かけにしても楽しめます。

 材料-2人分
 そばの実-大さじ4
 米-1合(180ml)
 酒-大さじ1
 水-290ml

作り方
 そばの実はさっと水洗いし、水(分量外)に30分ほどつけてあくを抜く。米はといでざるにあげておく。炊飯器の内釜に米と、そばの実は水けをきって加え、酒と分量の水を注いでひと混ぜし、普通に炊く。炊き上がったら5分ほど蒸らし、上下を返すようにしてそばの実を混ぜ込む。

(『雑穀美食』植木もも子)

雑穀
 漢字で「米」と書くと、語源的には穀物の粒のことを指しており、あわもきび、ひえも、すべてを米と呼びました(『角川新字源』角川書店刊)。
 ところが、いつのまにか、「米」の粒だけをいうようになってしまったのです。つまり、日本人にとって、米は、それほど重要な食物だったのです。
(『米の力 雑穀の力』永山久夫)

雑穀
 歯はその動物が食べるべきものを食べやすい構造に設計されています。
 肉食動物は獲物を殺し、肉をひきちぎるために犬歯という尖った歯を持ち、草食動物は草や穀物を噛み切るために前歯の門歯があり、すりつぶすためにほとんどが臼歯を持ちます。
 では人間はどうでしょうか?
 人間は肉も草も食べる雑食ですが、その割合は【穀物をすりつぶす臼歯が62.5%、植物を噛み切る門歯が25%、肉を噛みちぎる犬歯が12.5%。】
 つまり、このバランスで食べるべきだというのが、長い歴史の中ででき上がった自然のルールなのです。
(『好きなものを食っても呑んでも一生太らず健康でいられる寝かせ玄米生活』荻野芳隆)

玄米
 これまで、相手と対峙したときの心理テクニックをいくつかご紹介しましたが、実は対峙するその前、相手に近づくときから心理的なかけひきははじまっています。そのテクニックが【「相手のどちら側から近づくか」】です。
 人間にはどんなときでも無意識に心臓を守ろうとする心理が働いています。そのため、心臓のある左側に立たれると人は無意識に圧迫感を感じてしまうのです。まったく面識のない初対面の場合はなおさらです。それほど親しい間柄でないうちは、【相手の右側から近寄る】ことを心がけるとよいでしょう。
(『他人を支配する黒すぎる心理術』)
 体温計を振る動作はラケットを振る回内運動に似ている(『基礎からのバドミントン』中田稔監修)
 フェアバリューに対して割高になれば売られるというのは株式市場の話であって、為替の場合、そもそもフェアバリューという概念自体がありません。(『FXプロの定石 仕掛けから、利乗せ、ナンピン、手仕舞いまで』川合美智子)
 那覇市内に「久米」(クニンダー)と呼ばれる地域がある。いまでこそ那覇と陸続きになっているが、18世紀ごろまでは「浮島」と呼ばれる島であった。
 その久米は「三十六姓」と呼ばれる中国帰化人の子孫たちの居住区として、一種の租界を形成していたといえる。そして琉球は、この久米の中国帰化人子孫たちによって、間接支配されてきたのである。
 ここでは19世紀になっても中国語が話されており、彼らは日清戦争の終了まで、沖縄を中国圏に留めようと画策していた。そして現在も県民の3000人以上が彼らの子孫を自認しており、約10億円の共有預金と会館を有し、いまなお団結は強い。
 仲井眞知事、稲嶺惠一前知事はいずれも、この久米三十六姓の子孫である。知事選に当たっては、稲嶺氏は中国帰化人「毛家」の子孫であることを、仲井眞氏は「蔡家」の子孫であることを、リーフレットで誇っていた。
(『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる惠隆之介〈めぐみ・りゅうのすけ〉)