文明が人間の適応能力を越えて生んだもう一つのものは、情報である。
 アメリカのエール大学の図書館の蔵書は、18世紀のはじめ、およそ1000冊しかなかった。これがほぼ16年ごとに倍増している。これが今後とも同じくらいの割合で増大していくと、2040年には、蔵書は2億冊を数え、書棚は総延長6000マイル、そのカード目録室は8エーカーの広さになり、毎年新規に入ってくる1200万冊のカード作りのために6000人の司書が必要になる。
 科学論文雑誌の数も、指数関数的にふえていく。1750年には、科学論文雑誌は世界に10種類しかなかった。それが50年ごとに10倍になっていき、1830年には、約300種となった。これは1人の人間の読書可能量を越える。
 そこで、重要な論文のレジュメを集めた抜粋誌が現われた。ところがこれも50年ごとに10倍のテンポで増加し、ついに1950年には抜粋誌が300種類も出るようになってしまった。
 知識の量の増大とともに、知識の分野の細分化が起こりはじめている。(中略)
 全米科学技術者登録名簿に記載されている専門分野の内容を見ると、これがよくわかる。1945年には、900以上の専門分野が数えられている。
 こういった事実に象徴的に現われているように、現代の人間は、情報の洪水に溺れつつある。ヒトの生物的適応能力の面だけではなく、人間の精神的な適応能力の面でも、人類は文明のスピードに追いつけなくなってきているのではないだろうか。先進国での精神病患者数の増大は、この一つの現われであるように見受けられる。
(『文明の逆説 危機の時代の人間研究』立花隆)