例えばサントリーという会社がある。ここはもともと「鳥井商会」というのから出発して「寿屋」と名前を変え、「赤玉ポートワイン」という名の、甘ったるい似非ワインを売りまくって現在の基盤を作った会社である。戦後にはいってからはトリスを売り、レッドを売って「ウヰスキー」という舶来の酒を世間に広めた。もちろんウヰスキーといっても、こいつらはウヰスキーコンパチの赤酒である。
 けれども、この頃まで、サントリーは「人々をしてアルコールを摂取せしめる」という酒屋商売の基本に忠実ではあった。
 その酒屋が、生意気にも文化を語り、小市民の哀れな貴族趣味にへつらうようになったのは「サントリーオールド」を発売してからのことだ。
 金文字の背表紙が並ぶ書斎、ガウンとマントルピース、パイプ煙草、カットグラスのタンブラーとマホガニーのテーブル、書きかけの小説とペリカンの万年筆、ガウディのバルセロナ、マーラー、アフリカの休日。オールドはそうやって「本物のウヰスキー」になった。焼き印を押した木箱に梱包されて、様子ぶって鎮座するようになった。
 それに伴って、鳥井商会は腰に前掛けを垂らして商売をしていた頃のひたむきさを失っていった。その代わりにオペラのホールを作り美術館を建て、ヘミングウェイのスタンスで人に説教を垂れるサントリーという企業になった。
 あの太公望のおっさんが言うように、果たして、ウヰスキーは、男の人生を豊かにするものなのだろうか。ウヰスキーが何かを解決するのだろうか。
 違う。ウヰスキーは解決を引き延ばすだけだ。あるいは新しいトラブルを起こして、古いトラブルを忘れさせるだけだ。
(『我が心はICにあらず小田嶋隆