楚の悼王の死は西暦紀元前381年である。したがって呉起は紀元前4世紀の初頭に活躍した人物ということになる。春秋戦国時代氏族制がくずれ、封建制から郡県制へと移行してゆく時代にあたっている。この過渡期に中央集権化を押しすすめた国は強大となり、むかしながらの制度を墨守した国は弱化し、歴史の檜舞台から去っていった。(『呉子尾崎秀樹訳)

呉子