火を崇拝すると厄除けになるといわれるが、本文中に書いているように、釈尊が拝火教のカッサバ兄弟を帰依させた事例は、火を崇拝することの無意味を理解させるためであった。つまり火を崇拝すれば厄除けできるなら、火を取り扱う職業の人は毎日厄除けしていることになろう。何の災いもその人にはないはずなのに、どういうわけかそうではない。それは一体どういうことかと釈尊はいう。
 仏教信仰に金銭はいらない。たとえば極楽浄土にゆきたいと願う人に金銭を出せ、物品を買えと説いた経典があっただろうか。
 祈とうや呪文によって病気が治ったということはない。
 説法のなかで釈尊自身が自分の病気を祈とうや呪文によって治したと述べている例はまったくない。病気にかかったら医者の治療を受けている。釈尊は亡くなる前に激しい下痢をしている。これが死の直接の原因であるが、この時は医者は駆けつけていない。間に合わなかったのであろう。この苦しい最後の場面で釈尊は呪文を唱えただろうか。祈とうをしただろうか。すべて否である。
(『人間ブッダ田上太秀

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