インティファーダが始まるとアサーフ(※アブドゥルハミードの愛称)は緊急医療チームに志願し、ほとんどの時間を負傷者の救助や彼らの看病に費やすようになった。
 2001年1月7日、彼の遺体はネツァリーム交差点の近くで見つかった。前夜11時に父親の家を出たのちの彼の行方は分からない。翌朝、遺体が発見されたとき、片手の指はすべて切り落とされ、親指がかろうじてぶら下がっているだけだった。もう片方の手と腕とあごの骨は折られ、身体じゅうあざだらけだった。両手首の傷は、彼がきつく縛られていた証拠だった。その晩その地域で、イスラエル兵との衝突は1つも報告されていない。にもかかわらず、アサーフは明らかに拷問された揚げ句、20発以上の弾丸で、身体を穴だらけにされたのだった。(アブドゥルハミード・ハルティー、34歳)
(『シャヒード、100の命 パレスチナで生きて死ぬこと』アーディラ・ラーイディ/イザベル・デ・ラ・クルーズ写真:岡真理、岸田直子、中野真紀子訳)

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