女の話をするときの男たちの目つきや口ぶりに、ほかの楽しみを話すときとはちがう、隠微な卑しさがただよう。ことばは陰(くら)い爛(ただ)れを帯び、笑いにも、澄んだ明朗さがなく、のどにかかってそこからしみでてきたような不透明さをもっている。そういうころを目撃すること自体、呂不韋(りょふい)は嫌いであった。(『奇貨居くべし宮城谷昌光