わたしたち観客は誰ひとり、『男はつらいよ』によって裏切られたり、深い失望や傷を蒙らされたりすることがない。幕が降ろされ席を立つ観客の誰しもが、かすかに湿り気をおびた安堵に浸されているはずだ。映画を観る前/観た後のはざまには、いっさいの変容も変身も変態も存在しない。かぎりなく無にひとしい映画体験、といってもよい。(『排除の現象学赤坂憲雄