宗教体験が純正であるかどうか。これは、一つには、その人の日常生活の中に見られる思想や行為から知るほかはない。神秘体験はあくまでも情動的で、その人の内面の精神の問題である。論理、知性の世界の出来事ではない。論証して正しさを証明するものではないのである。ただ、彼は自己のうちに絶対なる何ものかを見、否応なしに自分はそれと一なる存在であることを、今や、知っている。おのずと人格や生活行為の中に、それなりの宗教的自覚と境涯が表出されてくるのは当然なのであって、そこにこそ彼の宗教性の深さが験(ため)されることとなる。(『人類の知的遺産 53 ラーマクリシュナ』奈良康明)

ラーマクリシュナ