すさまじいのは逸勢の娘の妙冲(みょうちゅう)である。妙冲は泣きながら父のあとを追いつづけ、京都から三ケ日町まで歩き、病死した父を埋葬したあと、墓前に庵(いおり)を結んで9年をすごした。無実の罪で死んだ父の無念が娘にそうさせたのであろう。それについて書かれた鴨長明の『発心集』(ほっしんしゅう)の「橘逸勢之女子配所にいたる事」は、涙なしでは読めない。(『他者が他者であること宮城谷昌光