皆があっと驚いたのは砲術師範の娘、山本八重子の出で立ちだった。着物も袴(はかま)もすべて男装し、麻の草履をはき、両刀をたばさみ、元込め7連発銃を肩にかついで城に入ってきた。弟の三郎が鳥羽伏見の戦いで戦死しており、弟の仇(かたき)をとらねばならない。命の限り戦う覚悟だった。八重子はすぐに城壁に駆けのぼり、7連発銃で敵兵を狙い撃った。(『偽りの明治維新 会津戊辰戦争の真実星亮一

会津日本近代史