政治についてだけではない。明治以後の文学史という一側面だけをとってみても、その底には「西洋との対決」という大きな潮流がながれている。『舞姫』のエキゾティシズムから出発した森鴎外は、その晩年において、なぜ『興津弥五右衛門の遺書』と『堺事件』を書き、元老山県有朋と接近したか。『浮雲』の二葉亭四迷はなぜ文学を放棄し、ロシアに赴き、インド洋上で死んだか。夏目漱石の「ロンドンの憂鬱」(イギリス留学時代のはげしいイギリス嫌い)の正体は何であったか。『吾輩は猫』(ママ)で彼が戦った対象は何であったか。乃木大将の殉死がなぜ漱石を衝撃して『こころ』という異常な作品を書かしめたのか。恋愛詩人与謝野鉄幹を「虎と剣の詩人」にしたものは何であったか。石川啄木の「無政府主義」はなぜ「国家主義」に飛躍せざるを得なかったのか。トルストイから出発した武者小路実篤はなぜ戦後の確信的な「日本主義者」であり得るのか。(『大東亜戦争肯定論林房雄

大東亜戦争日本近代史