要は相楽(総三)たち「赤報隊」は、「維新」に失敗しつつあった薩摩・長州と岩倉(具視)たちに利用され、使い捨てにされただけなのだ。彼らが江戸市中で行った蛮行には許し難いものがある。しかし、彼らは西郷(隆盛)の命を受け、その行動に「大義」があると信じていたのだ。このような蛮行に「大義」などあるわけがないのだが、少なくとも単なる無頼の徒ではなかった相楽はそう信じたのだ。
 西郷にしてみれば、端(はな)から使い捨ての心算(つもり) である。西郷とは、こういうことを平然とやってのける神経をもっていた男であるということなのだ。
 結局、後世でいうところの「明治維新」を成立させるについて、もっとも決定的な道筋を開いたのが「赤報隊」であり、「赤報隊」のテロであったのだ。
(『大西郷という虚像 「明治維新という過ち」完結篇原田伊織