1946年5月から48年11月12日の裁判終了までの約2年半の間、46年5月17日着任依頼、判事の勉強ぶりは、万人のひとしく認めるところであった。この間、公開法廷のあったのは423日であるが、宿舎の帝国ホテルと市ヶ谷台の法定とを往復するほかは、いっさいの娯楽を求めず、着任2ヵ月にして他の同僚判事との交際も断ち、ホテルに閉じこもり、膨大な証拠書類や、参考資料ととり組んだ。その精進と識見と学識は、敗戦日本人に深い感銘を与えた。(『パル判決書』東京裁判研究会)

パール判事東京裁判